2024年12月26日( 木 )

『脊振の自然に魅せられて』〜道標設置事業、道標制作作業

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 道標設置の全体図も出来上がったので、区役所の担当者Nとコース時間についてのすり合わせを綿密に行った。そして、登山地図に表記されている地図と実際に歩いた時間を照らし合わせ道標に表示する作業を行っていった。そして、いよいよ道標づくりの日程が決まった。

 日程は2008年9月23日〜26日の4日間、場所は前原市(現・糸島市)の木工作業所のトンカチ館である。

 私は西南学院大学ワンダーフォーゲル部の同期や先輩、後輩に応援を頼んだ。作業初日の朝礼では早良区職員の Nより作業日程についての説明があり、大きな紙に4日間の作業工程が記されてあった。

 ワンダーフォーゲル部の同期は東京、北九州からも駆けつけてくれた。また2年後輩の女性2名(ともに奥さん)も、2日間、早朝に福岡市郊外から車でトンカチ館に通ってくれた。頭の下がる思いだった。

 作業工程は1:1の製図を基に、道標の材料となる木材にカーボン紙で型取りをし、電気ノミ・トリーマーで文字を掘り、白ペンキを文字に入れることで道標パーツが完成する。

 作業参加者は早良区役所の総務部長はじめ職員、伊都遊歩道クラブ会長のO、早良魅力づくり推進委員会の方々も参加し、総勢20名程となった。

 我々はトンカチ館の責任者Tから指導を受けながら集中して作業にあたった。残暑の残る中、冷房もない木工作業所での作業である。頭からタオルを被って作業をするもの、保護メガネをして作業するものなどいて、昼休みまで黙々と作業を行った。木工所にはトリーマーで削る「ウィーン」という音だけが響いていた。

トリーマーで文字を掘る同期のM、O

 女性陣は彫られた文字や印に白や赤ペンキを塗る仕事を集中して続けていた。表示の文字は白、現在地を示す丸は赤で塗る。文字や印が乾いてから、もう一度ペンキで重ね塗りをする根気のいる作業である。

白ペイントで文字入れをする 後輩のMさん、Sさん

 そんな中、後輩女性のMさんは「1年生の時に池田先輩から怒られたことがあるんです」と私に言った。40年前のことで、私はすっかり忘れていた。軽はずみな言葉が彼女を傷つけていたようだ。私は「ごめんね」と謝った。そんな昔話が弾む中、昼休みとなり、みんな満足げな顔で施設の食堂で昼食をした。

 作業1日目が終わり、先輩、同期、後輩を含む男性ワンゲル仲間5名は前原市の施設「瑞梅寺山の家」で2泊3日の合宿をした。スーパー銭湯に行き体に付いたおが屑を洗い流した。その後、山小屋でのバーベキューをしたのだが、一気に学生時代に戻ったかのようで楽しいひと時を過ごすことができた。

 作業3日目に入ると、ほぼ道標や地図のパーツが出来上がっていた。並べると膨大な数だった。道標の数は42本、道標1本ごとに3枚のパーツが付くので150枚近くだ。その出来上がった道標パーツに早良区役所の焼印を押して防腐剤処理のため業者に送った。

 後日、防腐剤処理された長さ2mの支柱となる丸太が早々に届いた。担ぐと防腐剤の水分が残っているので随分重く感じた。「これを担ぐのか?」 自分ではとても無理だと思った。

 10月から始まる道標設置作業で支柱を担ぐのは体力がある学生たちである。良き後輩たちに恵まれたと思った。

 道標パーツづくりは3日間でほぼ終えた。最終日の4日目は後輩の学生たちの作業日になっていた。後輩たちのために少しだけ作業を残した。学生たちだけの作業に心配していたのだが、何とか無事に作業を終えたようである。そして残暑厳しいなかで4日間の作業は終了した。

 翌10月からいよいよ、道標設置作業を行うことになる。

出来上がった登山地図 左端が早良区役所のN

(次号に続く)

2019年5月13日
脊振の自然を愛する会
代表 池田友行

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