電力から情報通信、道州制、演劇興行まで~傑物・芦塚日出美氏の足跡をたどる(3)
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業績不振のQTnetの立て直しに成功
芦塚日出美氏が九州電力の代表取締役副社長に就任した2003年、同氏はもう1つの役職を拝命することになった。それは、情報通信本部長というものであった。
当時、九州電力グループの1社である九州通信ネットワーク(現商号および当時の略称:QTnet)が、電話サービス「九州電話」が価格競争に加えて携帯電話の普及によって不振に陥っていたほか、業績不振のPHS事業(アステル)やテレメッセージ事業を吸収したことで、02年度には債務超過が懸念される事態にまでなっていた。
その喫緊の課題であったQTnetの経営立て直しのために、九電では社内に情報通信本部を設置。その使命とは、社内の情報通信業務全般と、QTnetを始めとした通信グループ4社を一元的に戦略の策定・調整から管理・支援を行うことで、情報通信分野をグループ内で電気事業に次ぐ第2のコア事業として発展させることであった。
この頃、社内では「通信事業から撤退すべし」といった意見もあったものの、芦塚氏らは「これからはインターネットのさらなる普及拡大により、ユビキタス社会が確実に到来するだろう。光ファイバーという強力な通信インフラを有している我が社は、その強みを生かすことで、情報通信事業を有力な成長産業へと昇華させることができる」――と主張し、個人向けのFTTHブロードバンドサービス「BBIQ」を積極的に展開。
結果として、そうした芦塚氏らの“読み”は見事に的中し、06年度には見事QTnetの黒字化に漕ぎ着けることに成功した。
さらに07年夏、芦塚氏はその経営手腕を買われて「引き続き九州通信ネットワークを頼む」と請われ、QTnetの代表取締役社長に就任した。
当時、すでに個人向けFTTHブロードバンドサービスは競争市場で普及拡大の局面にあり、芦塚氏は種々の付加サービス――とりわけIP電話と映像・放送を含めた“トリプルプレイ”の開発を進めていくと同時に、“お客さま満足度”および通信信頼度の維持・向上に努めた。一方で、IT化の社会ニーズに対応し、法人向けのデータ通信サービスの広域イーサネット(VLAN)も拡大させていった。
これらの各種施策が奏功し、芦塚氏が社長を務めた3年間、QTnetは毎期増収増益を達成するとともに、第三者機関からは「顧客満足度No.1」などの数々の賞を受賞。このことについて、前社長の豊島令隆氏からは、「私はQTnetで一所懸命に“井戸”を掘ってきたが、君はそれを一所懸命に汲み上げてくれたなぁ」というお褒めの言葉を頂戴したという。
こうして見事にQTnetの経営立て直しに成功した芦塚氏は、10年夏に、同社の社長を後任の秋吉廣行氏に託した。
(つづく)
【坂田 憲治】法人名
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