シリーズ・消えた「流通企業」 泡とともに消えた「生活百貨店構想」~マイカル(前)
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世の中にスーパーマーケットが登場し始めた昭和40年代頃、巷では「あれはスーと現れ、パーと消える会社だ」と囁かれるほど信頼のない事業だった。令和の時代になり、改めて当時を振り返ると、まさしくスーと現れパーと消えた流通業が数多くあった。このシリーズはそんな消えた流通業の物語である。
変化の激しい流通業界で企業存亡の分かれ道となるのが時代の読み違い。マイカルはその典型だった。
マイカルは1970年に大阪の衣料専門店と衣料品問屋の4社が共同で出資した会社である。名をニチイといった。これは、日本衣料をもじった社名と言われ、関西でメキメキと頭角を現し全国に店舗網を広げていった。社長は西端行雄氏。元教員の西端氏は、4人の経営者のなかで最も人望が厚く、また信心深い人だった。そのためか消費者からも信用を得る堅実経営が評判となった。その西端氏が1982年に逝去する。その後を引き継いだのは、若くて理論派で野心家の小林敏峯氏であった。
この当時、それまで全盛期を誇っていた総合スーパーが曲がり角に差しかかっていた。とくに若い消費者の総合スーパー離れが顕著になっていた。小林氏が打った手は「生活百貨店構想」。時は、バブル絶頂期。これまでのように安さだけの商売は飽きられる。そこで百貨店のテイストをもちながらも、価格は手ごろでしかもカジュアルでお洒落な生活を標榜したもので「ヤング・マインド・カジュアル・アメニティライフ」をもじって(MYCAL)とし、これを宣言した。1996年には社名をマイカルに変更し、事業を成功させた。
その旗艦店舗だったのが総合スーパーと百貨店の中間を行くサティである。また、ビブレはファッション専門店として全国へと広がった。小林社長はマイカル路線をさらに推し進めた。大型SC、マイカルタウンを横浜本牧、桑名などの大型SCをオープンする。極めつけは小樽と中国大連に巨大SCを出店させた。これらの資金調達は小売業の錬金術とも言われたREIT(不動産投資ファンド)の運用。不動産を証券化し債権を発行するものである。
国内外の機関投資家がこぞってこれに飛びついた。その最中、不幸が起こる。1999年、小林敏峯氏が逝去する。その後、社内トップ人事の迷走もあり経営が混乱する。時代はすでにバブルが崩壊していた。REITは不良債権となり、1兆6,000億円という巨額負債を抱え、2001年に会社更生法を申請することになる。ここでスポンサー企業として登場するのがイオン。現在、イオンリテールが旧マイカルの店舗を多く受け継ぎ営業を続けている。
(つづく)
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