2024年11月22日( 金 )

西日本新聞の柴田建哉社長殿、貴方は社を復活させる覚悟がありますか?(6)~西広OBが西日本新聞社の未来を宣託

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 柴田社長殿、西広OBからのご意見を紹介してこのシリーズを完結します。この後のことは経営者として柴田社長がいかに西日本新聞社をすばらしい会社として再生させるかどうかに関わってくるだけの話です。

 筆者も偉そうな口を叩きましたが、「弊社を必要とされる会社に仕上げていくか」が厳しく問われており、しっかり総仕上げを行う覚悟です。

 それでは西広OBのご意見を下記に紹介します。真摯に受け止めてください。

西日本新聞社自力での生き残りは無理かな?

 西日本新聞社グループだった地場大手広告代理店・西広が博報堂の子会社となったのは既報の通り。

 代々、西広の社長には、親会社の西日本新聞社から出向してきていたが、ここ2代は西広のプロパーが就任していたという。この一件は西広の「西日本新聞離れ」の前兆だったとの見方もできるかもしれない。

博報堂の子会社になったことに関して西広OBから以下のような意見が寄せられた。

 長きに渡り西広でお世話になり、存分に仕事させていただいたことに対して、改めて感謝の意を表したいです。西広の仕事を通して、自身の能力が高められ、たくさんの方々との出会いによるご縁ができたことは、今もって自身の財産となっております。

 すでに西広は、先月(6月)西日本新聞社から博報堂の傘下に入りました。OBたちからは「残念だ。何とかこれまでのマネジメントで踏ん張れなかったのか」「70年の歴史…1つの時代が終わった」などのコメントがありました。

 確かに残念ではありますが、時流のなかで生き残っていくにはやむを得ないことだったのでしょう。やはり、地場広告代理店として、“どのようにして業界をリードしていくことが最善なのか”という志向で、事業を推進することに関して後手を踏んだことは否めません。つまり西日本新聞社への依存度が高く、時流への対応が遅れたものと推察されます。

 広告業界だけでなく、銀行など金融業界を筆頭にあらゆる業界で再編が行われております。業界大手がリードして、寡占化していくことは、これからも避けられないのではないでしょうか。西広が博報堂の傘下に入ったことは、これからの世代の方々にとっては待遇や事業展開の面で、メリットが大きいのですから、良かったのではないかと存じます。

 西日本新聞社においても同様のことで、現在のままのビジネスモデル、すなわち単なる新聞社の事業を中核にしても生き残ることは極めて困難でしょう。誰もが知っている通り、新聞業界は斜陽です。それが今後はさらに加速化していくでしょう。同社だけの体力では存続は苦しくなるでしょうし、同社への入社を目指す若い方々も減少し続けるでしょう。同社が生き残るためには、地方紙の企業が1つになって、大同合併することがベストでしょう。

 どの企業同士が連携していくかは未知数ですが、まずは数社一緒になることです。そして、リーダー(経営者)は新聞業界にこだわることなく、他業界でも構いません。経営改革に長けた方々は、たくさんいらっしゃいます。これまでの慣習などにとらわれることなく、覚悟と信念をもった改革を実行できるリーダーが現れれば、生き残ることができるでしょう。

 今回、西広が博報堂の傘下に入った事象を見て、西日本新聞社も決断の時期に差しかかっていることは明らかとなりました。冷静に客観的に時流を見極めて、西日本新聞社の経営陣は、今こそ適切な判断を下さなければならないでしょう。現況で何も策を講じないなら、残念ながら消滅する可能性が高いでしょう。同社には賢明な判断でのマネジメントを望みます。

 西日本新聞社を大切に思ってこその厳しいご意見である。同社は今後、どう改革し、荒波を乗り越えていくのか。上記OBの意見に耳を傾け、参考にしていただきたい。

(了)

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