西日本新聞よ!現実を直視せよ(2)─(株)西日本新聞社OB鼎談(ていだん)─
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――「猛烈ビジネスマン」時代のBさんは、幅広い人脈を構築されていますね
B:長崎県のある経営者との出会いが分岐点となりました。その経営者と商談をするために、本社の営業課長と訪問しました。
後日、その経営者に呼ばれたので再度訪問すると「前の商談では、貴方と話をしたかった。上司に用はなく、長崎を知る貴方と商談がしたかった」と言われました。
そして、「貴方が今後、どんな‟ビジネスマン人生”を送っていくかはわからないが、西日本新聞社という枠を超える意識をもたないと、大きな仕事はできないよ。つまり組織を超えた仕事をしていくことで、これからの貴方の‟ビジネスマン人生“が拓けてくるのです」と助言をいただきました。
この時の助言は、私の心に刻まれ、今でも大切な指針となっており、まさに私の分岐点といえます。つまり、経営者目線で仕事をつくり上げていかねばならないということです。
良し悪しではなく、オーナーとサラリーマン社長は、まったく異なります。両者の違いは決断力だとこの時、学ばせていただきました。
――Bさんは、若い時に貴重な経験をされました。その後のBさんのビジネスマン人生に大きな影響となったとうかがっております
B:その通りです。あの時の長崎県の経営者による助言が、今の私の原点となっています。西日本新聞社という組織にただ依存するのではなく、組織を超えた次元での仕事を構築していく─つまり自分自身が覚悟をもって仕事に挑むこと。それを教えていただきました。
その志をもっておられたのが、Aさんです。Aさんは歴代の西日本新聞社の社長より断然、ビジネスの経験・人脈・胆力が優れています。Aさんは、組織を超えた仕事を実践されていました。つまり、常に自身で覚悟を決めて決断していたのです。
助言をいただいた長崎の経営者、そして先輩であるAさん。お2人から学ばせていただいたおかげで今も現役で仕事に取り組んでおります。
A:誠に恐縮です。一心不乱に仕事に挑んでおられた当時のBさんを思い出します。私は、組織内でありますが、1975年(昭和50年)現在の本社である西日本新聞会館の新社屋落成、グループ内でゴルフ場(福岡県宮若市の若宮ゴルフクラブ)を経営・運営し、当ゴルフ場会員権の営業を任されました。さらに、文化事業推進・電波(T VやFM局)担当として各局と新聞社の連動のための業務に就きました。
広報、関連会社代表など、幅広いセクションを経験させていただきました。とくに、北九州地区の営業推進を行った時は、朝日・毎日・読売との競合が激しく、企業回りを行うとそのほとんどが「西日本新聞は、‟向こう側”(遠賀川より東、つまり「よそ者」の新聞社)の新聞でしょう」といわれる始末で、大変だったことを思い出します。それでも使命感をもって、挑み続けておりました。
(つづく)
【河原 清明】法人名
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