関電疑獄(1)~裏切り防止の「毒饅頭」
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1 真実を隠蔽する報道
「本件還流金品は通常の賄賂とは真逆の属性をもつ」
事件発覚に際し、関電は当該金品は原発立地の自治体との円滑な関係を維持するために受領はやむをえなかった、と弁解し、その違法性を否定した。
そもそも当該金品の受領と立地自治体および住民・企業との信頼関係は無関係で、むしろ、秘密裡の金品の受け渡しが存在すること自体が信頼関係を破壊する。弁解自体に重大な矛盾がある。
「還流」という表現の不適切性
本件金品は元助役によって半ば強制的に贈与されたもので、多数の関電役員が望んだものではないことは明白である。ではこの賄賂の趣旨目的は何か。それを一言でいえば、関電側に裏切りを許さない毒饅頭ということである。元助役の保身戦術である。
本件金品はその流れが真逆である。関電が原発立地自治体や住民・企業との良好関係維持を望むのであれば、関電から自治体・地域住民・企業に必要資金が流れる。
通常、賄賂は当事者がその不正を認識しているため、発覚を恐れることを示す属性をもつ。その1つが当事者が可能な限り少数である。本件のように20数人ということ自体が異常である。また、行為は短時間であり、本件のように、長期・複数回にわたることはない。
次に決定的なことは、金品の流れは徹底的に隠蔽され、証拠痕跡が可能な限り隠蔽される。しかし、本件では元助役の自宅には詳細な金品供与の記録が残されていたという。何よりも簡単な税務調査で発覚するような多数の会計資料が残された。元助役はなぜこのような自己に不利益な記録を作成して保存したのか。
それを推察するに、元助役は自分だけが悪者にされ「とかげのしっぽ切り」に会う危険を予知し、それを防ぐために、前記の「裏切り防止毒饅頭作戦」を考え出したものと推察される。この推察を補強する補助線的思考の1つが、還流資金はもともと元助役が自由に処分できたものであり、通常は私するものであることが重要である。
2 問題の本質
不正資金の原資は消費者の支払う電気料金である。不正資金の額は関電に還流した3億2,000万円をはるかに超えるものである。少なくとも元助役がふところにした金額が加算されなければならない。この不正資金、つまり「過剰利益」の金額こそ、本件事件の本質である。関電はこの不正が行われた期間に、2度も電気料金を値上げしたという。独占的に決定される電気料金が自由自在に不正資金となるこの構造こそ、何も関電に限らず、日本の電力事業を独占する官製株式会社―官僚が天下りする絶対に倒産しない名ばかりの民間企業―の悪の本質である。
3 個人資産家の社会的責任
日本社会において、巨大な株式会社の役員による不正・悪事(会社犯罪)を是正する機構は事実上機能していない。最も期待されているのが警察・検察による刑事罰の発動による不正・犯罪の摘発と抑止だが、先輩が長年天下りした大企業にたいしては、日本の警察および検察は当該大企業の会社犯罪についてはその摘発はほぼ期待できない。直近のゴーン事件で、日産の経営陣が示した醜態と検察の姿勢はそのことを見事に示している。
とくに、会社犯罪が組織的に行われた場合には警察・検察による摘発は現実の能力外といっても過言ではない。それは一言でいえば、刑事罰の達成には厳格な証拠が必要だが、その証拠が入手できないためである。一般の人による刑事告訴・告発が不発になることも、この強力な証拠が入手できないことが主な原因である。刑事司法の本質的限界である。
しかし、物事には必ず反作用がある。公務員であれば厳格な法的制約をうけるため、独占的国営企業を民営化し、一民間人として天下り役人が「自由天国」を構築しても、民間企業には株主の監視が残っている。この株主による監視を天下り役人が軽視できる時代はもうその終わりが始まっている。
刑事手続きよりは厳格な証拠を必要とせず、立証責任もすべて原告が負う構造となっていないのが、以下にのべる株主代表訴訟である。
今後の日本社会においては個人資産家が半官半民の巨大株式会社や元官業の巨大株式会社の株主となって、弁護士を使わなくても、常識的な訴訟追行の知識をもって、本人訴訟のかたちで巨大株式会社の天下り官僚による社会悪を是正する時代が到来している。
従って、株式の保有は資産運用の意味はほぼない。長く株式を保有しても大した上下変動のない安定的巨大株式会社であることが必要である。一定の期間保有することが提訴条件の1つであり、保有数量には何ら制限のないことが最大の利点である。なによりも、訴訟費用は会社の負担で、提訴株主の負担はゼロである。ただし、提訴自体が無理筋の場合にはそれ相応の責任の追及があり得るので、提訴には十分の知識と準備が必要である。
なお、これは一株運動として、主として株主総会に出席して小数株主として行動することとはまったく意味が異なる。株主総会の遂行原理は株式民主主義(株数による多数決主義)だから、所詮、少数株主には何らの議決能力・可能性はない。
4 株主代表訴訟の限界
株主訴訟は会社の損害を、それを引き起こした役員の賠償責任を問う手続であって、原発立地にともなう諸問題、原発を受け入れた自治体における意思決定手続等の問題にまで立ち入ることはない。ただ、その訴訟の審理の過程で、関連する不祥事が発覚する可能性はある。
(つづく)
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