2024年12月27日( 金 )

日本の政治の何が問題か(1)

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拓殖大学大学院地方政治行政研究科 特任教授 濱口 和久 氏

選挙制度の見直しが日本の政治を劣化させた

 平成6(1994)年1月29日、細川護熙首相と河野洋平自由民主党総裁によるトップ会談が行われ、衆議院の選挙制度(定数)を小選挙区300、比例代表(地域ブロック)200とすることで合意。同じ年3月4日、政治改革関連法(小選挙区比例代表並立制と政党交付金の導入を柱とする)が成立した。

 政治改革のシンボルだった選挙制度改革から四半世紀が過ぎようとしているが、はたして小選挙区制度は、日本の政治を良い方向に導いたのか。結論からいえば、NOと言わざるを得ない。

 それまでの中選挙区制は、選挙区の数は約130で、有権者は1票しか投じることができないにもかかわらず、1選挙区から原則3~5人が当選するという世界的に見ても珍しい制度だった。

 政権を維持する場合、政権党は選挙区に複数の候補者を擁立しなければならなかった。その結果、主張する政策がほとんど変わらない同一政党の複数の候補者が票を奪い合い、政策本位(政党本位)の競争ではなく、候補者による地元へのサービス競争、いかに選挙区へカネをばら撒くかの競争に陥りがちだった。

 同時に、野党第1党だった社会党が「万年野党」化し、政権交代が起こりにくいことも問題視された。自民党が豊富な資金力で数多くの候補者を擁立して、過半数の議席を維持したのに対し、社会党は選挙区内での共倒れを防ぐため、候補者数を絞り込み、野党の座に甘んじるという構図が続いた。いわゆる「55年体制」だ(平成5年の細川政権誕生で自民党が下野し、戦後38年間続いた「55年体制」は崩壊した)。

 リクルート事件や東京佐川急便事件といった政治の中枢を巻き込む「政官業」癒着の汚職事件(政治とカネの問題)が立て続けに起きると、中選挙区制度の弊害をマスコミが大々的に展開した。このムードに呼応するかのように、政治改革の必要性が与野党を問わず声高に叫ばれるようになる。

 そして、政党本位の選挙が期待でき、政治に対する民意の変化を敏感に反映して、政権交代を可能にする選挙制度として、小選挙区制の導入が進められていく。そして、冒頭に触れた通り政治改革関連法が成立し、小選挙区制度が動きだす。今までに8回の衆議院の総選挙が行われたが、政権交代が行われたのは、平成17年の総選挙の1回だけだ。

 当初の期待とは逆に、小選挙区制度を導入したことで、諸外国ではあまり見られない現象が日本では起きている。国会議員(とくに自民党議員)の世襲化が一段と進む一方、第1党が4割台の得票で7~8割もの議席を占め、得票率と獲得議席数に著しい乖離を生みだしている。

 小選挙区制度の導入に際し、当時、マスコミの多くが自民党内の小選挙区制度に反対する議員たちを政治改革に反対する「守旧派」として批判した。小選挙区制度こそが最大の正義であり、政権交代を可能とする二大政党制が到来するかのような幻想を国民に抱かせたマスコミの責任は非常に重たいと言わざるを得ない。

(つづく)

<プロフィール>
濱口 和久(はまぐち・かずひさ)

1968年熊本県菊池市生まれ。防衛大学校材料物性工学科卒業後、防衛庁陸上自衛隊、元首相秘書、日本政策研究センター研究員、栃木市首席政策監(防災・危機管理担当兼務)、日本防災士機構理事などを歴任。現職は拓殖大学大学院地方政治行政研究科特任教授・同大学防災教育研究センター長、(一財)防災教育推進協会常務理事・事務局長。主な著書に『日本版 民間防衛』(青林堂)共著、『戦国の城と59人の姫たち』(並木書房)、『日本の命運 歴史に学ぶ40の危機管理』(育鵬社)、『探訪 日本の名城(下) 戦国武将と出会う旅』(青林堂)、『探訪 日本の名城(上) 戦国武将と出会う旅』(青林堂)、『だれが日本の領土を守るのか?』(たちばな出版)、『思城居(おもしろい) 男はなぜ城を築くのか』(東京コラボ)などがある。

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