2024年11月23日( 土 )

【手記】「ダイヤモンド・プリンセス号」での隔離生活30日~新型コロナウイルス集団感染(後)

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 2月5日、横浜港に停泊中の「ダイヤモンド・プリンセス号」で10人の新型コロナウイルス感染者が確認された。厚労省は当初、ウイルス潜伏期間である約14日間の船内待機を決めた。しかし、検疫体制は定まらず、国内外から批判を浴びたことで方針が迷走。結局、約4000人の乗員乗客が30日間に渡って豪華クルーズ船内に「隔離」されることになった。

 ダイヤモンド・プリンセス号は2004年に建造されたクルーズ船で、国内で建造された客船としては史上最大。総トン数は11万5875t、乗客定員は2,706人(乗員1,100人)という巨大なクルーズ船だ。乗客は、東南アジアをめぐる16日間の航海を終えて横浜港に帰港していた。旅行代金は約25万円から140万円まで。

 今回、このダイヤモンド・プリンセス号に乗船していた男性がデータ・マックスに手記を寄せた。男性は福岡市在住の経営者(70代)。「船内でお世話になった乗員の方や、励ましてくれたすべての方に感謝を伝えたい」と話している。

深夜に届いた「陰性証明書」

2月17日(拘束から12日目)

 検査から3日経った。検査官からはまだ連絡がない。これまで熱もなく咳もない。症状がまったくない状態だったのでおそらく「陰性」であろうと予想はするものの、だんだん怖くなってくる。無症状の人が陽性になったという情報もあったからだ。

 部屋の電話が鳴ると、文字通り「ビクッ!」とする。生きた心地はしない。待つ時間をこれほど長く感じたことはない。待つことがこれほど苦痛だったとは。健康にはそれなりに自信のあった私ですら胃が痛くなってきた。

 17日の午後3時になったが連絡はない。午後6時を過ぎた。連絡がないので「もう安心か」と思ったものの、緊張感は解けない。もし「陽性です」と通告があったら、さらに追加で14日間を過ごすことになる。もはや船内生活にはなんの未練もなくなっており、想像すると恐怖すら感じる。滅多にしないことだが、思わず「神様お願いします。どうか陰性でありますように」と祈りまで捧げた。

 結局、厚労省からは19日になっても連絡はなかった。そうこうするうちに20日の朝を迎えた。下船前夜に下船の案内をすると聞いていたが、就寝までに何もなかったので、我々は21日下船になるだろうと理解していた。ところが朝食を取ろうとした時、ドア越しに資料が見えた。資料は20日の下船通知と横浜検疫所からの「陰性証明書」だった。資料は20日に入った深夜、寝ている間に届いていたのだ。

 下船時刻は20日の午前10時30分と書いてある。あと2時間しかない! 慌ててトランクを整理しドアの前に出す。はたして下船に間に合うのか。ばたばたとドア越しに乗員に荷物をお願いする。何とか間に合いそうだ。

 午前10時30分になるとさっそく、順番に降りるようアナウンスが始まった。我々は1番最初の案内だった。部屋を出て11階から4階まで階段を降りた。下では検疫官が待機し、再度検温と問診があった。下船後の待機場所を記した資料を提出すると無事解放された。

「やっと下船だ。やっと自由の身になれた」(バンザイ!……心のなかで呟いた)

埠頭側の風景

そして、3月5日

 船を降りて振り返ると、多くの人が手を振っている。一緒に下船できない義弟夫婦の姿も見える(彼らは21日に下船した)。思い切り手を振る。涙が出そうだ。つらく長かった隔離生活からやっと解放された喜びはひとしおだった。しかし、喜んでばかりはいられなかった。陽性が出てさらに14日間、別の場所で拘束される人のことを思うと何ともいえない感情がこみあげてくる。

 タクシーで羽田空港に向かうつもりで車を探すと、すでに待機していた。ひょっとしたらコロナで敬遠されるかと心配していたが、杞憂に終わりホッとしたのを覚えている。羽田空港から福岡空港へ、その足で自宅に帰った。下船予定日から18日が経っていた。

 帰宅すると厚労省から最寄りの保健所に連絡が入っており、それからまた14日間、3月5日まで毎日、体温や体調について電話観察が始まった。

3月5日(観察最終日)

病院への搬送は貸し切りバスではなく自衛隊のバスを使用

 ウイルスに打ち勝つには「免疫力を高めるのが一番」と思い、船内拘束中は体操やヨガを積極的に行い、ベランダを開け放って外気を入れて部屋のなかをウロウロ。隣室の義弟夫婦とはベランダ越しに定時ミーティングと称して朝昼夕の雑談で気を紛らわした。

 友人たちからの励ましメールでも元気をもらった。差し入れでもらったラーメン、即席ご飯がどんなにおいしかったか。おいしいものをおいしいと感じられるときが最も幸せなんだと実感した。

 帰宅後は船内で落ちた体力を維持するため、代謝が高くなる食材を増やしたり、散歩に努めた。とくに船内では部屋から出られなかったため散歩ができず、このことが余計私を苦しめた。新鮮な空気を吸い、行きたい場所に自由に行けること、少し大げさかもしれないが、それこそが生きている証ではないのか。

 そして3月5日、保健所の健康観察が終わった。晴れて解放の身となったのだ。体調はいい。下船予定日から1カ月が経っていた。我ながら良く耐えたと思った。

 ひとえに応援していただいた皆々さんのおかげだ。改めてこの場を借りて感謝を申し上げたい。

(了)

新型コロナウイルスの集団感染が起きたクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス号」

(中)

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