2024年11月22日( 金 )

現金配布の河井前法相、「誰も知らない」過去 風呂無し六畳二間で暮らした幼少期

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 自民党・河井案里参院議員(46)の公設秘書が公選法違反に問われた裁判が20日から、広島地裁で始まった。夫の克行前法相(57)もあちこちに現金を配っていたことが判明し、窮地に追い込まれた感がある。その克行氏の生まれ故郷を訪ねたところ、さまざまな疑惑や悪評のイメージとかけ離れた「つましい幼少期」が浮き彫りになった。

カネまみれの渦中の人、河井克行氏のルーツをたどる

 河井議員夫婦の「政治とカネ」の問題は昨年10月、週刊文春の報道で表面化した。案里氏が初当選した昨年7月の参院選で、河井陣営がウグイス嬢に対し、法定の上限を超える日当を支払っていたと発覚。選挙を主導したとされる克行氏が前月に就任したばかりの法相を辞任する事態となった。

 さらに今年3月、克行氏が地元広島で首長や県議、市議にも現金を配っていたことも判明。20日からは公選法違反で立件された案里氏の公設秘書・立道浩被告(54)の裁判が広島地裁で始まったが、禁固以上の刑が確定して連座制の適用対象と認定されると、案里氏は当選が無効となり失職する。克行氏の政策秘書・高谷真介被告(43)も同法違反で立件されているうえ、検察は河井夫妻の逮捕を視野に入れているとの報道もあり、事態は大規模な政治スキャンダルに発展しかねない状況だ。

 そもそも、案里氏の選挙資金の1億5,000万円は自民党本部が出したもので、安倍首相の責任が問われてもおかしくない。新型コロナウイルスの感染拡大がなければ、事件の推移は連日、トップで報道されていたはずだ。

 この事件の中心人物である克行氏は、広島県三原市で生まれ、幼稚園の途中まで同市で過ごしているが、この幼少期に関する情報は乏しい。克行氏のルーツを探るべく、その生まれ故郷を訪ねてみた。

生家周辺での低い知名度

 克行氏は2016年にも秘書へのパワハラ疑惑を報じられ、「渦中の人」になったことがある。当時、広島市の小学校時代の後輩が取材に答え、次のようにコメントしている。

 「河井先輩のアダ名は“スネ夫”。実家は薬局経営の裕福な家庭で、事あるごとに“僕と君らでは育ちが違う”みたいなことを言う嫌みなヤツでした。当然、皆から嫌われていました」(同年3月3日付け『日刊ゲンダイ』)

 こうした報道からすると、幼稚園時代まで過ごした地域でも克行氏やその家族は良くも悪くも有名な存在だったのではないかと思っていた。だが、予想は覆された。克行氏の生家があった香積寺という寺院の周辺で取材したところ、同氏がこの地の出身者であることを知る人すらほとんど存在せず、「あの河井さんが!?」「本当ですか?」などと逆に聞き返されるほどなのだ。

克行氏が幼少期を過ごした六畳一間の家。当時は風呂がなかった。

 克行氏はブログで以前、生家が「六畳二間」だったことを明かしていたが、その家は50年以上経った今も入居者募集中の状態で残っていた。だが、平屋の建物は玄関が引き戸になっていて、実につましく、「薬局経営の裕福な家庭」が暮らしていた家には、とても見えなかった。

 近所で暮らす高齢の女性によると、「この家はこれまで、いろいろな家族が借りて住んでいます。以前はお風呂がなく、住んでいる人たちはみんな銭湯に行っていましたよ」。克行氏は、私立の名門である広島学院中学・高校(広島市西区)を経て、慶大の法学部政治学科に進学している。その華やかな経歴と裏腹に、情報が乏しい幼少期の生活は楽ではなかったのかもしれない。

今も残る「黄金バットごっこ」の舞台

 克行氏の生家隣の二階建ての家では、幼少期の克行氏のことを知る大家の女性が暮らしていたそうだが、女性は1年ほど前、介護施設に入所したという。近所の人が大家さんの娘さんに取材依頼の仲介をしてくれたが、娘さんは克行氏が生家に住んでいた頃に小学生だったため「何も覚えてないんですよ」とのこと。近所には、幼少期の克行氏の子守をしていた女性がいたそうだが、すでに亡くなっているという。

克行氏が「黄金バットごっこ」に興じた防火水槽

 そんな生家周辺で克行氏の幼少期を偲ばせるものがひとつあった。上部が地表に露出した半地下式の防火水槽だ。

 克行氏は自身のブログで、防火水槽の上で「黄金バットごっこ」に興じていたことを明かしているが、先の高齢の女性によると、「このへんの子どもはみんな、ここで遊んでいましたよ。うちの子たちもそうでした」。小学校時代は「嫌みなヤツ」だったとされる克行氏も、幼少期は近所の子どもたちと無邪気に遊んでいたのかもしれない。

 克行氏本人に当時のことを聞いてみたいと思い、国会事務所と広島事務所に問い合わせてみたが、国会事務所は誰も電話に出ず、広島事務所は電話がつながらない状態になっていた。風呂無しの六畳二間の平屋で生まれ育った少年が、あちこちにカネを配って回る政治家になるまでに一体、どんな遍歴をたどったのだろうか。

【ジャーナリスト/片岡 健】

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