コロナ蔓延下にみる日本の現状~イタリア在住の日本人から(3)
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日本ビジネスインテリジェンス協会会長・中川十郎氏のもとにイタリア在住の日本人から見たコロナ蔓延下における日本の状況について投稿が寄せられたので、要約して以下に紹介する。
日本がかつてのバブル景気から始まり、経済成長のみを優先させ、人々の精神性の育成充実を疎かにしてきた結果であると私は思っています。
効率、生産性、費用対効果で推し進めてきた社会に、社会にとって一番大事な共感、(無償の)協力という類の感情は生まれません。
この傾向は日本のみならず、世界的な傾向ではありますが、日本の現状はそういう傾向を放っておいたら、社会はどのように破壊的に病んでいくかを明確に指し示している気がします。もう1つ、日本の食料自給率の低さも私がもう何年も前から懸念していることの1つです。自給率はその国の底力です。そういう意味では日本の底力は極めて微弱であると言わざるを得ません。
おまけに近年では水道の管理権さえ私的企業に受け渡している。それも外国企業にです。あり得ないほど危険なことです。
日本の首を締めるのに、今や兵器は必要ありません。ただ蛇口を締めればいいだけ。そういう状態をのうのうと見過ごして、まったく焦点の外れた武装に力を注ぐ現政権は日本の自滅を望んでいるとしか思えません。今回のコロナウイルスでは、各国の、そして各自1人ひとりの弱さが浮き彫りにされているように思います。イタリアでも、神経質にイライラと自粛期間を過ごす人、ゆったりと構えて平和的に過ごす人などさまざまですし、市民の相互監視においては、お仕置きをするのではなく、イタリアでは、むしろ、この時期経済的に困窮して困っている家庭がないか?そういった人々に食料を届けよう、孤立している高齢の人はいないか?という面で互いに注意を払うという「監視」が行われています。少なくとも私の周りでは。
外出がとくに規制されている高齢の方たちに新聞を届ける、市民の自発的なサービスもあります。日本においても、私が今まで懸念してきた日本の政府の無能無策無責任が浮き彫りにされていると感じます。すでにこのどうしようもない弱点は、福島の事故の時にまざまざと浮き彫りにされ、その後も被災者の方たちへの対応において、その「人でなさ」を日々見せつけられました。
しかしながら、日本人の大半は、自分に火の粉が降りかからないうちは、なんでも対岸の火事を決め込み、喉元過ぎれば熱さをさっさと忘れ、自分の頭の上のハエ以外は一切興味をもたない。他者の権利を踏みにじる政府は、明日あなたの権利をも踏みにじるとは思わないようです。楽天的もここまでくるとただの幼稚でしかありません。幼稚な国民を欺くのは赤児の手をひねるより簡単でしょう。
そして、この期におよんでも日本という国が政府レベルで、いまだ嫌韓をやめないことにも虚しい驚きを隠せません。中国、韓国でコロナ対策に成功したのなら、どうして頭を下げてその術を教えてもらい、その成功例にならわないのか、私には不思議でなりません。韓国は米国からのステルス戦闘機とイージス艦の購入をやめて、7兆ウォンの災害支援金を捻出したというのに、日本ではそういう動きは微塵も見られません。オリンピック延期の費用3,000億をすべて日本が肩代わりすると、兵器の契約は今まで通りと海外に対しては太っ腹を見せる、その陰に多大な国民の命と暮らしを犠牲にしてのことです。
3,000億でどれくらいの国民の命が、そしてどれくらい困窮している小中商店、企業、工場が救えるでしょうか?
彼らが惜しみなく差し出す3,000億は、もとを正せば国民からの税金です。海外より、まず自国民のために使われるべきです。しかしながら、こんな政府の支持率がいまだ4割。これでは勝手にすればというしかありません。今回のコロナ騒動に際して、いかに日本がアジアで、そして世界で孤立しているかを実感しましたが、日本がいつまでも裸の王様を決め込み、日本人優性というバカバカしい幻想がつくり出した高みから降りない限り、日本は世界のそしてアジアの歩みから遅れを取り、ますます孤立していくことを懸念します。
羊などの草食動物が群れをつくるのは、自分たちを守るためでもあるのです。日本は、ますます群れから離れた「驕った羊」となり、アメリカという肉食獣の格好の餌食になるのでしょう。
日本は、もちろん世界各国もそうですが、ここですべてを失ってみる必要があるのかもしれません。当たり前のことなど、存在しないのです。
すべてのことが、ありがたくも与えられたことであり、今朝のお茶がおいしく飲めたということは今日も元気で生きているということ。電車が毎日時間通りに動くのは、ありがたいこと、そういう今まで当たり前だ、とただ傲慢に受け取り、傲慢に要求してきたことに対しての姿勢を改める時期ではないかと思います。当たり前ではなく、ありがたいと思ったら、ものや人に対して、そして自分の人生に対しても、もっと真摯に丁寧になれないでしょうか。
そして、今までのそういった傲慢さを冷静に見つめ、その弱点を謙虚に認め、真摯に何もないところから努力し、社会を変えていく、社会というものへの概念を根本から変える。このコロナという疫病は、自分自身を、ひいては社会全体を見直し、個々の生き方を変える、そういったいいチャンスにもなり得ると私は考えます。そうしたら政治も変わらざるを得ないでしょう。どこからこの疫病がきたか?なんてことで犯人探しに奔走するのではなく、起きてしまったことは起きてしまったこととして、敢然と全力で立ち向かう、人に嫌がらせをしている時ではないのです。私は、どんなことでも起きたことには、なぜ起きたのかの理由があると信じています。この疫病にもなんかしらの理由がある。その理由が人知でわからなかったとしても、このピンチをチャンスに変えられないかと私は考えます。
その行動を起こす力が今の日本の人たちにあるかどうかは別として、です。(つづく)
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