2024年11月20日( 水 )

【コロナ禍のなかで】業績と記憶を残して去る人、忘れ去られる人と企業(前)

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 自己資本71.8%の抜群の財務力を誇る進興設備工業・舩津政隆氏は関係者に強烈な記憶を残してこの世から去っていった。10年前までマンション業界で一世を風靡していた理研ハウスのオーナー新井英淳氏は誰からも忘れ去られて会社廃業説が高まっている。この対照的な実例をレポートしてみよう。

進興設備工業『中興の祖』舩津政隆氏の肝っ玉

 5月6日、77歳で逝去した舩津政隆氏の追悼文は既報した通り。設備業界で抜群の財務力を誇るまでの企業に仕上げた故人・舩津政隆氏のエピソードを披露してみよう。筆者は永年、企業調査に携わってきた。様々な師匠たちに巡り合ったが、船津氏は最大の恩人の一人である。

東建設倒産の事前情報の大スクープをいただく

 1997年10月、東建設㈱が福岡地裁に自己破産を申請した。負債額約284億円、ゼネコンとしては福岡地区最大の倒産であった。1990年9月に平成初頭のバブルが破裂して東建設がいつ潰れるか注目されていた。

 倒産6ケ月前、4月中旬のことであった。舩津社長(当時)と社長室で情報交換を行っていた。話が一段落したところで舩津氏はやおら立ち上がった。金庫をあけて書類を引っ張りだしている。こちらは永年の勘で「あー、何かスクープをくれるのだな」と頭によぎった。同氏が提示した書類をみて興奮で震えが止まらなくなった。その書類は東建設の借用書だった。金額1.2億円也。保証手形もついていた。

 「東建設の寿命はもう僅かだな」と直感した。「これは前代未聞の大スクープである」と一目散に帰社したい誘惑に駆られたが、ここはじっくりと構えた方が賢明と判断。

 「舩津社長! 東建設の正信社長とは金を貸すほど親しいとは思いませんでしたが……」と投げかけた。「そうです。正信社長とは義理張りがあるほどの親密な関係は築いていません。野鶴副社長から相談事であったからこそ依頼に応えました」と淡々と語る。

 この1億円を超す借用書を目の前にして平然と裏話を明かしてくれるこの度胸に兜を脱いだ。肝っ玉の大きさには舌を巻く。確かに23年前でも進興設備工業は1億円程度の貸し倒れで潰れるような脆弱な財務内容ではなかった。ただ回収において手を抜くような甘い人物でもない。倒産までの残り半年であらゆる手立てを駆使して相当の回収を図った。企業防衛に対する執念は人の10倍以上有している人物である。

 この東建設の借用書入手から東建設の倒産時期を設定した。そこから逆算して多種多様な情報を発信してきた。後日、「データ・マックスは東建設のことなら隅々まで知り尽くしていた」と評価を受けたが、これは買い被り過ぎである。そこまで精通できるわけがない。舩津氏のお陰で他社に先駆けた情報発信ができたと、感謝するしかない。

有言実行の見本

舩津 政隆 氏

 進興設備工業にも経営危機が発生した。創業者・的野傳氏のマンネリ化した経営手法に社員達が異議申し立てを行い、退社・離反の動きが露わになったのである。83年末のことだ。

 オーナー的場氏は対策に苦慮した。そこで社員達の意見をくみ取り舩津氏に社長就任要請を行った。「承諾しました。社員達の生活を守るために命を賭けてやり抜きます」と快諾。大きな組織ではない。的野氏からみても難局を乗り切るのは船津氏しかいないと判断していた。会社に言うべきこと言い、さらに実行できるのは船津氏しか見当たらなかったのだ。

 「社員達の生活を守る」使命感を抱いて社長業を開始した舩津2代目社長の行動の原理は「他人様より働き朝を制する」ことであった。筆者もサラリーマン時代から朝を制することを行動の規範にしていた。朝6時前後に情報交換する経営者達が5名いたが、その1人が船津氏だった。

 朝を制して同業者たちよりもいち早く現場に飛んで段取りを終え、工程完遂を早めることを行動基準に置いていた。「現場にこそ利益がある」という信条である。当たり前のことを毎日積み重ねていくとは、言うは易しだが継続は至難を極める。これを平然と完遂し続けた意志力は半端でない。加えると、この個人の信条を組織の社風に叩き込んだ指導力はとてつもなく卓越したものである。この社風形成のためにコンサル活用を行ってきたが、そのエキスを会得したならば即刻、自前での訓練に転換する独立独歩の組織風土も定着していった。

「社員のために」を第一義とした経営手法の貫徹

 2020年2月期の決算の損益・貸借対照表を参照されたし。抜群の財務内容を目の当たりにして驚愕するであろう。無借金、自己資本率71.8%、額面資本金の実額は24.9倍となっている。こんな財務内容を誇れる企業は皆無。退職金引き当金額をみると、かなりの額の退職金が支給されることも想像がつく。高いボーナス支給もあり年収換算では地元業界でナンバーワンと評価されるであろう。「社員の為に経営する」ことを有言実行した結果、待遇面で卓越した内容をキープしているのである。

 そして何よりも語るべきは、社員から社長を抜擢する人事方針を確立したことである。2013年4月に4代目社長に大野史朗氏を抜擢した。そしてこの度、井手口富彦氏を5代目として事業継承させた。株も社員持ち株の比重を高めて金庫株として収拾している。まさしく社員達が「俺らの会社」と意識する仕組みを強化したのである。

進興設備工業 貸借対照表
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進興設備工業 損益計算書
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故人の唯一の判断ミス

 舩津政隆自身の葛藤! 「舩津」設備工業と呼ばれることや、「乗っ取った」と囁かれることを非常に気にしていた。さらに的野氏からは「息子を一度は社長に就かせていただきたい」という切実な要望もあった。84年4月から99年まで社長として采配したあとに3代目として的野敢氏に席を譲り、2013年までは会長として経営にタッチしていた。14年も長く社長を任せたことが、故人の唯一の判断ミスであった。

 10年早く大野氏を社長に抜擢していたならば局面が変わっていたはずだ。決定的な誤りにはならなかったものの――。

(後)

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