【コロナ禍のなかで】業績と記憶を残して去る人、忘れ去られる人と企業(後)
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コロナ恐慌で今後、間違いなく不動産不況が襲来する。そうなればマンションデベロッパーの倒産が必ず起きる。2008年のリーマン・ショックでも数多くのデベの倒産が発生した。その過程で話題を提供した(代表が詐欺罪で逮捕された)丸美のことを記憶しているのは関係者のみ。わずか12年の歳月で「疎くなる習性」を人間はもっている。(株)理研ハウスもそのパターンをたどっていくのか!
(株)理研ハウス(新井英淳代表)も忘れ去られるのか
理研ハウスとユニカの損益状況を参照されたし(2000年から2010年の10年間)。2社とも売上高200億円をたびたび突破し、理研ハウスは当期利益14億円を突破した実績もあった。いわばリーマン・ショック前は業界トップクラスの業績を誇っていたのである。ユニカに関しては近日中に改めてレポートする予定である。
今回は理研ハウスの近況に触れる。丸美と同様、理研ハウスを記憶しているのは関係者のみで、それ以外の方々の記憶からは消えつつあり、儚いものである。佐賀銀行の後押し
理研ハウスは1983年4月の創業。新井代表がまだ29歳のときで、37年の業歴を誇る。初代社長は吉村行生氏だが、設立当初からオーナーは新井氏だった。94年4月、新井氏40歳のときに満を持して社長に就任した経緯がある。94年以前は中村建設などの販売代理業務に特化してきた。この間、新井氏は土地の仕込みからマンションの企画、販売までじっくりと時間をかけて勉強した。
満を持しての社長就任は自前の自社ブランドマンションで勝負できるという自信をもったからだと言われており、98年から自社ブランド「アプローズ」の販売を開始した。社長に就任した94年前後は平成初期のバブルが弾けて「地場先発隊」が倒産した。その間隙を縫って新井社長と同年配、または若手たちが独立した。地場の「第二期時代」が到来したのである(コーセーアルイー・諸藤敏一氏が代表例)。
当時、佐賀銀行は福岡都市圏でのシェア拡大に注力していた。とくにデベロッパーの顧客開拓に主力を置いていた。そのターゲット先に理研ハウスが選ばれた。99年に佐賀銀行の関連会社で同行の不動産開発を担当している(株)サーク開発と共同事業で「サークコート大濠公園駅」を売り出し、完売した。理研ハウスにとっては今後の飛躍とするための貴重な分岐点となったのである。
さらに時代は金融機関の不良債権処理時代となった。佐賀銀行の不良債権の一環としてパチンコ店2店を融資付きで購入。その後、売却して多大なる利益を得た(2005年期の利益はこのパチンコ店売却によるもの)。資金力もついて理研ハウスの独走が始まる。2006年には九州全体で供給数トップにたった。この栄光の座に躍り出られたのも佐賀銀行の後押しがあったからである。
トップの座も一瞬にして、もろいものだ
2000年代(00年代)は、「安く・土地の利便性」をウリにして200戸、300戸のロットでさばいていた。先輩格にはソロン、ユニカなどの業者がいた。新井社長も徹底した研究の上で先輩のやり方を踏襲した。施工していたある経営者は「長崎で2棟を完売したのは圧巻でした。新井社長は年下でしたが、その采配ぶりには惚れ惚れしたものです。だからコマーシャルに長嶋一茂を活用することに尽力したのです」。一茂氏の出演から販売が加速しだした。「そこからアプローズブランドの知名度が一挙に高くなった」といえる。
ところがデベロッパーの業績はその時点での景気に左右される(金融機関の動きに決定づけられる運命)。2008年のリーマン・ショックの前夜に理研ハウスは直方市で2棟の物件を売り出していた。一件は苦労しながら完売のめどをつけたが、残り一棟は販売中止した。この決断力に周囲は感服した。
「流れが変わった」という認識の上に08年2月(株)理研住販を設立して同社のマンション在庫を引き取らせて販売から手を引いた。トップの座にいてもこの業界はもろいものである。風向き次第で一気に流れが変わるものだ。新井社長もここで完全撤退を貫徹すべきであった。しかし、ある知人の紹介で中国瀋陽に進出した。
だまされたのではない、事業はそこそこという評価
世間で「新井社長たる者が中国のブローカーにだまされるとは信じられない」という憶測が流れたことがある。現地を視察した人の証言によると「事業としては、そこそこ販売実績を残してきたはずだ。問題は金を日本に持ち帰られなかったことが痛かった」となる。さすが新井社長の営業の才覚は中国でも通用したという証明である。
一息(7年ぶり)ついて福岡でマンション2物件の売り出しを試みた。しかし、月日の変化は激烈だ。いまひとつ販売の“切れ味”が鈍かった。福岡での商売から身を引くと嗅覚鋭かった新井社長でも「ビジネス感性」が鈍くなるのかとあ然とした。ある同業者が分析する。「この5年間で大きく販売環境が変わったのは販売価格が高騰したこと。ゼネコンと日頃から『ネゴ交渉の激突』を積み上げないと現実を理解するのは無理」となる。
現在、2つのホテル事業処理に終始
現在、韓国済州島と長崎県対馬でホテルを経営している。「済州島グランドホテルメイヤー」の商号で(1)「スタンダード」(2)「ファミリー」(3)「ジュニアスイート」の3タイプ、94室で営業している。過去は採算にのっていたが、現在、コロナの影響をまともに受けている。対馬のホテルも同様に韓国からのお客が「ストップ状態」で、自衛隊駐屯地における自衛隊宿舎の代用として使われているとか。
新井社長の経営手腕から判断してもホテルの事業化は必ず達成してくれるだろう。ただ悔やみきれないのは時とともに「理研ハウス・アプローズ」の名前が人々の脳裏から消えていくことである。
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