2024年12月30日( 月 )

カラオケ大盛況に嫉妬する、ぐるり亭主(前)

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大さんのシニアリポート第90回 

 筆者が運営している「サロン幸福亭ぐるり」(以下、「ぐるり」)の一番人気のイベントは「カラオケ」だ。まるで歌手になったような気持ちで歌い、演じることができる場所は、たしかにカラオケしかない。しかし、歌にのめり込んでいる本人(音程は外れ、リズムには乗れず…)はまだしも、聴かされる方は「たまったものじゃない」と思うのだが、参加者は、意外とまじめに他人の歌を聴き、声援を送り、拍手さえ惜しまない。正直、オーナーの筆者は耐えられず、昼食を理由にその場から逃げる。

 「ぐるり」のカラオケは点数が出る。ただ、メロディの正確度により点数に差が出る「少々癖のある機材」のようだ。通称「カラオケ部長」(「ぐるり」スタッフ)は毎回90点越えだが、元スナックのママは、「こんなに点数のでないカラオケは初めて。うちに来ているお客様はいつも『ママ最高』ってほめてくれたわ。なんなのよ、このカラオケ」と怒り心頭。元ママの歌は色気たっぷりだが、音程がバラバラの自己流であるため、音程にのみに反応するカラオケでは点数がでない。元ママは、とうとう来なくなってしまった。なぜそこまで、カラオケごときにのめり込むのだろうか。

 今から45年前の1975年、私はシンガーソングライター井上陽水(以下、陽水)の写真集『陽水 INOUE YOUSUI PHOTO ALBUM』(学習研究社)の編集に携わっていた。陽水本人や所属事務所の人たちと会って打ち合わせをしたとき、1枚のLPレコードを事務所の代表からもらった。タイトルは『氷の世界』(ポリドール・レコード)、ミリオンセラーを記録した陽水のヒット作である。当然のことながら、購入済みである。
 すると、「中身が違うんです」と代表。それは、実際に発売されているレコードから、陽水の声だけを抜いた「マイナス・ワン」(業界用語)、今でいう「カラオケ用レコード」だった。業界の関係者用に特別につくられたレコードで、それをバックに陽水になりきって熱唱できるシロモノだ。ホンモノのレコードと同じ演奏で歌えるのだから、贈られた方もさぞかし喜んだに違いない。代表は、「陽水自身も最後は同じ音源をバックに吹き込んでいるのだから、『最初のカラオケは、この業界から生まれた』といえるのではないか」といった。

 最初にカラオケを世に送り出したのは、レコード業界なのだろうか。どうも違うらしい。井上大祐(本名:井上祐輔、以下、井上)という人物が、陽水のカラオケレコードより4年前の1971年に、空演奏のテープに、マイクがセットの再生装置とコインボックス(ジュークボックスのように、コインを入れるとスタートする仕組みか)が付いた「8ジューク」というカラオケマシーンを開発したというのが定説になっている。当時のレコード業界は、24トラックの幅の広い、特殊な録音テープに、それぞれのパートを別々に録音し、最後に歌手が録音する方法を採っていた。ただし、これはレコード業界の話で、世間一般に採り入れられた方法ではなかったため、「元祖カラオケ」というには無理があるだろう。井上は「誰でも、歌手のように歌ってほしい」という理由から、特許を取得しなかった。そのため、その後の爆発的なカラオケブームに大きく貢献することになった。

(つづく)

<プロフィール>
大山眞人(おおやま まひと)

 1944年山形市生まれ。早大卒。出版社勤務の後、ノンフィクション作家。主な著作に、『S病院老人病棟の仲間たち』『取締役宝くじ部長』(文藝春秋)『老いてこそ2人で生きたい』『夢のある「終の棲家」を作りたい』(大和書房)『退学者ゼロ高校 須郷昌徳の「これが教育たい!」』(河出書房新社)『克って勝つー田村亮子を育てた男』(自由現代社)『取締役総務部長 奈良坂龍平』(讀賣新聞社)『悪徳商法』(文春新書)『団地が死んでいく』(平凡社新書)『騙されたがる人たち』(講談社)『親を棄てる子どもたち 新しい「姥捨山」のかたちを求めて』(平凡社新書)など。

(第89回・後)
(第90回・後)

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