【縄文道通信第41号】縄文道―天職ガイド 縄文陶工と現代の陶工との関係性 縄文道―武士道―未来道(前)
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(一社)縄文道研究所
NetIB-Newsでは、(一社)縄文道研究所の「縄文道通信」を掲載していく。
今回は第41号の記事を紹介。
縄文土器の陶工と現代の陶工との関係
将棋界で18歳の天才棋士、藤井聡、7段が話題を呼んでいる。棋聖戦を史上最年少で制した。瀬戸出身と聞く。筆者の遠い祖先―瀬戸の陶祖・加藤藤四郎景正が開祖した縁のある地である。
また囲碁界でも史上最年少で三冠を制した天才、20歳の芝野虎丸名人がいる。これら2人の棋士は、間違いなく天才でかつ若くして天職を得たといえる。
縄文道―天職ガイドの視点でいえば、お2人は天職を得て活躍している訳だが、我々の遠い祖先が日本列島で土器を営々と創って歩んできた縄文時代の陶工の歴史を振り返り、天職を考えたい。
世界最古の縄文土器は、すでに良く知られるようになった歴史的事実だが、青森県大平山元遺跡から1万6,500年前に発掘された。この日本列島では、縄文文化は実に約1万4,000年続き、土器文化の影響は現代まで続いている。
縄文陶工は、(1)土器制作にふさわしい土の発見と可塑性のある粘土をつくる必要がある。(2)粘土を大中小の器の用途に応じて、手捻りで積み上げていく成形過程を踏む。(3)最後はあらゆる木材を集めて火を焚き、野火で焼成する。この全過程を男性、女性、それぞれ協働したり分担したりして土器制作に携わっていたと思う。
この縄文土器は今や考古学の発掘技術が進歩し、北は樺太から南は沖縄諸島・与論島・徳之島など、日本中至るところで発掘されている。この火と水と土の結晶は、その後、弥生土器、土師器、六古窯(備前・丹波・越前・信楽・瀬戸・常滑)に引き継がれていった。これら窯業地では、地場で陶工が前述の縄文陶工がたどってきた工程を踏まえて、日夜陶器つくりに励んでいる。
筆者も陶器つくりが趣味で、豪州、ヨーロッパ、日本で先生について陶器づくりに励んだ時期もあった。この経験からいえるのは、最後の工程が登り窯、電気窯、ガス窯に変わり、成形で轆轤を使用するようになったこと以外、基本的な工程に変わりはないことである。最近、縄文時代とまったく同じ工程で、縄文土器をつくる貴重な機会を得た。八王子の東京都立埋蔵文化調査センターの主催で土器づくりに挑戦し、最後に野火で縄文土器を完成させた。作品は、今でも我が家の片隅に陳列されている。
(つづく)
Copyright Jomondo Kenkyujo
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