2024年11月22日( 金 )

「新型コロナ」後の世界~大学の本来あるべき姿を考察する!(5)

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東京大学大学院情報学環 教授 吉見 俊哉 氏

 新型コロナウイルスは「世界の軌道」を止めた。私たちは今避難を余儀なくされ、物質的な考えを止めさせられ、自分が生きることだけを考えている。そして、このことは、これまで私たちが地球に行ってきた環境破壊がもたらした大洪水、ハリケーン、竜巻、海洋汚染、氷山崩壊などと同じで、貪欲な資源獲得の争いや終わりのない戦争の結果であることに気づき始めている。
 一方で、世界が一度止まったことで、私たちは自分の人生で大切なものは何かを考える時間ができた。今後、大学はどのような役割をはたしていくべきなのだろうか。

 東京大学大学院情報学環・教授の吉見俊哉氏に聞いた。ちょうど新型コロナ騒動直前の1月末に吉見教授がオックスフォード大学教授の苅谷剛彦氏と共著で出版した『大学はもう死んでいる?』(集英社新書)が今注目を集めている。それは、同書がまるで世界が一度止まることを予期していたかのように、日本はのみならず世界中の大学が抱える根本的な問題をあぶり出しているからに他ならない。

新自由主義的な規制緩和を進めた結果、大学が抱えている問題

 ――世界的に見ても、日本の大学には「新自由主義」の悪影響が色濃く出ているように感じますが、なぜでしょうか。

東京大学大学院情報学環 教授 吉見 俊哉 氏

 吉見 2000年代以降「平成の失われた30年」の様相が次第にはっきりしてくると、日本の大学の劣化が明らかになり、多くの大学が「改革を進めても、大学は少しも良くならない」「文科省主導で進める改革は部分的に改善する内容ばかりで、本当の意味での大学の改善にはなっていない」と悩み始めました。

 しかし、ここで注意すべきことは、日本の大学が今の状態に至った過程を2つに分けて考えなくてはいけないことです。1つめは「新自由主義的な規制緩和を進めたがゆえに、このような状態になってしまった」こと、2つめは「そもそも、規制緩和される以前から日本の大学は問題を抱えていて、すでに『ある種の複雑骨折』をしていた」ことです。

 まず、1つめの「新自由主義的な規制緩和によって、大学が抱え込んでしまった問題点」について、この問題が生じたのは、日本の大学がどうなるべきかという全体的ビジョンがなく進められた1990年代以降の3つの改革が原因でした。

(1)大学設置基準の大綱化による教養教育の弱体化

 この改革では、「専門教育」と「教養教育」を分けていた仕切りを外しました。改革以前は、前期課程である1~2年生の教養教育を教えている先生は教養の範囲にとどまり、後期課程である3~4年生を教えるのは専門教育の先生と分かれていました。当然のことながら、教養教育の先生からは、自分たちは学術面での業績においてひけを取らないのに「なぜ教養教育にとどまらなければいけないのか」という不満の声がずっと挙がっていました。

 そこで大学の声に応じた文科省は、「専門と教養の組み合わせは、大学が各自で考えてください」と仕切りを外したのです。しかし結果として、ほとんどの先生が専門を中心に教えたいと要望し、大学は教養教育を疎かにするようになったため、日本の大学の教養教育が著しく弱体化してしまいました。

(2)大学院の重点化

 大学には「そもそも、日本は大学院生の数が国際標準に比べて少ないため、もっと大学院を拡充しなくてはいけない」という意見が以前からあったことを受けて、文科省は大学院を重点化することを決めました。大学院では教員1人あたりの予算も増えるため、トップレベルの大学はこぞって大学院の重点化を推進しました。しかし、大学側は、大学のなかの学部と大学院の数的な比率にばかり目を向け、大学院生の卒業後のキャリアパスを描くことができなかったため、結果的に大きな失敗に終わりました。

 文科省も大学も、日本社会で「大学院はどういう役割をはたすべきなのか、また、はたすことができるのか」を考えていませんでした。つまり「大学院で修士や博士の学位をとった人が、日本社会のなかでどう扱われるのか」を十分に計算に入れていなかったため、日本では、博士号をもっていることが必ずしもキャリアを大きく向上させない状況が生まれています。

(3)国立大学の法人化

 大学の法人化は、もちろん新自由主義的な規制緩和の一環です。自民党政権や財界は国立大学の完全な民営化を推進したいという考えだった一方で、文科省は、彼らの権力基盤を守る意味も含めて、国の支援は必要であるという、どちらかというと完全な民営化を阻止したい考えをもっていました。そのため、一方の政権と産業界、他方の旧文部省と大学の間には、亀裂が走ってしまいました。つまり、文部省と大学は、財界や政権にやや警戒しており、政府内も一筋縄ではまとまっていなかったと考えています。結果的に、国立大学の法人化は中途半端なものになりました。

 上記の3つの規制緩和は、いずれも基本的には大学側の要望を受け入れる方向で行われました。このような経緯から文科省自体にはっきりとしたビジョンがあったわけではなく、大学内の各学部・大学院が自分たちにもっとも都合が良い方向に向かおうとするのみで、大学全体としては方向を見失っています。その状況にあっても「学長のリーダーシップに期待する」という言い回しで物事が進められるため、誰も責任を取らない仕組みになっています。

(つづく)

【金木 亮憲】


<プロフィール>
吉見 俊哉
(よしみ・しゅんや)
 1957年、東京都生まれ。東京大学大学院情報学環教授 兼 東京大学出版会理事長。同大学副学長、大学総合研究センター長などを歴任。社会学、都市論、メディア論、文化研究を主な専門としつつ、日本におけるカルチュラル・スタディーズの発展で中心的な役割をはたす。
 2017年9月~18年6月まで米国ハーバード大学客員教授。著書に『都市のドラマトゥルギー』(河出書房新社)、『博覧会の政治学』(講談社)、『親米と反米』(岩波書店)、『ポスト戦後社会』(岩波書店)、『夢の原子力』(ちくま新書)、『「文系学部廃止」の衝撃』(集英社新書)、『大予言「歴史の尺度」が示す未来』(集英社新書)、『トランプのアメリカに住む』(岩波新書)、『大学はもう死んでいる?』(集英社新書)など多数。

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