2024年12月28日( 土 )

音楽に見る日本人の正体(1)『陸軍分列行進曲』(後)

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大さんのシニアリポート第91回

 今年も新作を上梓する機会を得た。40年間温めてきた企画だが、上梓するにはそれなりの覚悟が必要だった。歴史的に定説として承認された事象に対して、「NO」を突きつける行為には勇気が要る。それも今から77年前の話のため、世間一般では忘れ去られても仕方のない出来事かもしれない。しかし、筆者はそうした歴史上の「嘘」(あるいは思い込み)に対して看過することができなかった。

 しかし、出陣学徒壮行会で使用された「新曲」になると転調のオンパレードだ。『扶桑歌』のイントロから、いきなり『抜刀隊』に入るときにも転調。『抜刀隊』のコーダも転調されており、新曲では再び『扶桑歌』のイントロで閉められるので、ここでも転調されている。新曲では都合で3回も転調されているが、この転調こそが新曲の最大の魅力なのである。

 さて、この新曲がタイトルを決めないままバラバラに発表されることに対して陸軍省など関係部署が異を唱えなかったことには理由があった。というより放置する意外に方法がなかったのだ。

 前述のように「新曲」を作曲(編曲)することに「手を染めた)のは日本人で、肝心のシャルル・ルルーではない。ルルーはすでに日本を出国しているのだから編曲のしようもない。「新曲」作りに成功したものの、「手を染めた」日本人にはどこか後ろめたさがあったはずだ。

 クラシックの世界ではよく、『モーツァルトの主題による変奏曲』(作曲:F・ソル)というように原作者の名前が使われている。これにならうとしたら、「シャルル・ルルーの『抜刀隊』『扶桑歌』による(新曲名)』(作・編曲:陸軍軍楽隊)とでもすべきだったが、これができなかった。フランス人という敵国の音楽家シャルル・ルルーが関わっていたからに他ならない。

 戦後になって、この「新曲」のタイトルは一般的に、『陸軍分列行進曲』と呼ばれるようになった。しかし、現在の陸上自衛隊では『陸軍分列行進曲』、警視庁は『抜刀隊』、警察庁は『扶桑歌』、消防庁は『分列行進曲』と、別々に呼び合うのが恒例だ。いずれも、ルルー作曲として発表されている。くどいようだが、シャルル・ルルーは「新曲」に対し、作曲も編曲もしていない。日本人が勝手にルルー作曲としているのだ。

 曲名を統一できない背景には、各所属部隊の事情(プライド)が見え隠れする。陸上自衛隊は成り行きから『陸軍分列行進曲』と王道を守った。警視庁は西郷軍を撃破したのが自身の精鋭部隊「抜刀隊」であるから『抜刀隊』を、対する警察庁は『抜刀隊』を名乗ることはできないため、明治天皇に献上された『扶桑歌』を使用。消防庁(各地の消防署)も同じ名前を名乗ることができないので、『分列行進曲』と呼び、観閲式などで演奏された。

 筆者は、曲名を統一できない背景を、内心では次のように感じている。自作の『抜刀隊』と『扶桑歌』を承諾もなしに、勝手に編曲(改ざん)されたシャルル・ルルーの怒りの背後霊がどうしてもそうさせなかったのだと。

(了)

*『陸軍分列行進曲』はYouTubeで視聴できる。

<プロフィール>
大山眞人(おおやま まひと)

 1944年山形市生まれ。早大卒。出版社勤務の後、ノンフィクション作家。主な著作に、『S病院老人病棟の仲間たち』『取締役宝くじ部長』(文藝春秋)『老いてこそ2人で生きたい』『夢のある「終の棲家」を作りたい』(大和書房)『退学者ゼロ高校 須郷昌徳の「これが教育たい!」』(河出書房新社)『克って勝つー田村亮子を育てた男』(自由現代社)『取締役総務部長 奈良坂龍平』(讀賣新聞社)『悪徳商法』(文春新書)『団地が死んでいく』(平凡社新書)『騙されたがる人たち』(講談社)『親を棄てる子どもたち 新しい「姥捨山」のかたちを求めて』(平凡社新書)など。

(第91回・中)
(第92回・前)

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