ファッション元祖への鎮魂歌~さよならレナウン! レナウンをつくった個性豊かな人々(後)
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民事再生手続に入っていたアパレル大手(株)レナウンは8月21日、紳士服「ダーバン」など主力5ブランドをカジュアル衣料の小泉グループ(株)(大阪市)に売却すると発表した。
小泉グループへの譲渡は9月30日を予定し、売却額は非公表。レナウン本体は再生がかなわず清算される見通しとなった。レナウンの歴史は、日本のファッションの歴史そのものと言っても過言ではない。レナウンの歴史をエピソードで綴ってみよう。レナウンの黄金時代
佐々木営業部は社名変更やグループ会社の再編を重ねて、レナウンが誕生した。レナウンは伊勢丹の社員の間では「親戚企業」と受け止められた。尾上氏は伊勢丹の他の取引先から一目置かれ、創業家の親戚筋という影響力で他のアパレルを圧倒。レナウンはファッションの伊勢丹を本拠地として黄金時代を築いた。
尾上氏は、市場は大衆がリードすることを予見し、戦後初の新聞広告、民間放送開始とともにラジオ広告を開始するなど先見の明を発揮した。
1961年には「これからはテレビの時代」と全国ネットのテレビにCMソングを提供。CMソングの全盛時代には服部正氏、三木鶏郎氏らに依頼してCMソングをつくり、女性の心を明るくリードしている。
そのなかでも一世を風靡したのが、小林亜星作詞・作曲の「レナウン・ワンサカ娘」。「ドライウェイに春がくりゃ」ではじまる軽快なメロディーとして大好評であり、60~70年代にレナウンのCMソングとして親しまれた。
実写とアニメを合成したカラーCMの「イエイエ娘」は、アメリカンテレビCMフェスティバルで国際部門の繊維部門最優勝賞を受賞。グループ会社・ダーバンのCMには人気俳優のアラン・ドロン氏を起用するなど、話題性の高い花形企業であった。
尾上氏は1975年に第一線を退いて以後、経営には一切関わることはなかった。カリスマ経営者の引き際の潔さは賞賛されたが、尾上氏が退任すると、レナウンの勢いは徐々に衰えていく。
脱・創業家に転換した伊勢丹
バブルの時代、不動産会社の秀和(株)が、新興仕手筋として日本橋兜町に登場した。秀和は流通株を買い占めて、一躍、注目を集める企業となったが、秀和に株を買い占められて貧乏くじを引いたのが、伊勢丹社長で創業家4代目の小菅国安氏だった。
伊勢丹株25.3%を買い占めた秀和は、保有株を(株)イトーヨーカ堂に売却すると揺さぶりをかけた。伊勢丹がスーパーに呑み込まれかねない事態に対して、小菅家の御曹司は有効な手を打てなかったため、メインバンクの三菱銀行が乗り出し、買い占め問題に決着をつけた。
1993年5月、小菅氏は社長辞任に追い込まれた。辞任といっても、実質的には解任であり、創業以来107年間におよぶ小菅家による伊勢丹支配は終止符を打った。
以降、脱創業家が進む。尾上清氏の長男・尾上達矢氏は、レナウンではなく、母方の伊勢丹の取締役に就いていたが、彼も伊勢丹を去る。小菅家の親族企業だったレナウンの地位は低下した。
レナウンに代わって、伊勢丹の親密企業になったのが(株)オンワード樫山だ。秀和に買い占められた伊勢丹株を引き取る際、オンワード樫山に100億円分を保有してもらったからだ。
アパレルのリーディングカンパニーの座は、レナウンからオンワード樫山に交代し、伊勢丹と2人三脚でファッション王国を築いたレナウンが坂道を転げ落ちる転換点となった。
(了)
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