2024年11月23日( 土 )

【凡学一生のやさしい法律学】自民党総裁選の意味するもの(1)~世襲議員の大乱舞、国民が選んだ総理大臣という詭弁(後)

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(4)議員内閣制の反民主主義性の論理的証明

 実は、議員内閣制は普遍的な法原理にも反する「矛盾を抱えた政治制度」であることが、代理法によって証明される。

 詳しい論理内容を紹介する前に、まずは代理法と憲法論理との関係について説明する。代理法とは民法上の基本法理であるから、憲法レベルの政治制度の問題には適用できないのではないかと、憲法上位、民法下位という「最高法規性」ドグマに毒された読者も存在するかもしれないとの危惧があることが、その理由である。

 憲法は人類が経験的に獲得してきた法原理の集大成であり、憲法と各種の法原理との間に、法規範としての軽重の差異や矛盾はない。言い換えると、基本的な規範には原則として軽重や優先劣後の関係はないということだ。もし、規範間に矛盾が生じれば、それは一方が偽の命題であるということになる。

 以上の前提から、現行の議員内閣制が代理法の原理に反していることを、論理的に証明する。

 代理法では本人を委任者、代理人を受任者と表現する。重要なことは、代理人は委任された権限以上の法律行為は行えず、権限外の行為は無権代理として原則は違法で無効な行為となる点である。

 国会議員の選挙においては、主権者たる国民は立法権以外に立候補者に権限を委任したか、とくに行政権の長を選挙する選挙権を委任したか、という視点こそが「間接的に選挙したことになる」との命題の政治的であり論理的な正当性の根拠となる。

 そもそも一身専属的に保有する選挙権を第三者に委任することができるか、という代理権の正当性の問題も付随する。

 つまり、国民が主権者として持つ固有の行政権の長を選挙する権利は、第三者に委任することができるか、という問題と、国会議員が固有の投票権と、支援者から委任された選挙権という複数の選挙権をもつことは、平等で一身専属的な主権の本質に反しないか、という問題を同時にはらんでいる。

 国会議員の選挙において、主権者である国民は立法権の委任と同時に、行政権の長を選挙する権限まで委任したという事実も認識もない。そのため、国会議員による行政権の長を選挙する権限は、議員内閣制という制度そのものが内在する代理法に反するという矛盾を抱えた制度という他ない。

 憲法は基本的な法原理の集大成であるに過ぎず、この矛盾のある法制を国民が承認するか否かという問題が今後の焦点となる。この論理的矛盾こそ、長く国民に秘密にされてきた日本国憲法の重大の矛盾である。

(5)憲法制定過程

 昨今、憲法改正論議が盛んである。しかし、現在の憲法改正論議は極めて特殊な環境と条件の下で発生したもので、まともな議論とはいえない。極論すれば、平和憲法と称される理由となった憲法9条の改正問題を主流としているからであり、その強力な主導者が長期政権を実現してきた安倍晋三総理大臣だからである。

 その本家本元の安倍晋三が辞任したのであるから、付和雷同してきた自民党議員のなかで本気で憲法改正を主張する後継者がどれだけいるのかさえ、不透明である。

 本来であれば、憲法改正の議論を行うなら、首相公選制や道州制などの議論や、検察官の公訴独占主義についても議論が必要であり、民選裁判官の導入が何よりも必要である。

 そして、前述したように現行の議員内閣制は民主主義的には未熟であり、矛盾を抱えた権力分立制度である。アメリカ軍の支配するGHQの憲法制定担当者が母国の憲法制度である大統領制を採用しなかった理由は、日本の議員内閣制を考察するうえでは一級の立法事情となるが、残念ながら、定説はない。

 当時、議員内閣制の国の代表であるイギリスは何ら問題を発生させていなかったが、それは長い議会政治の歴史と民主主義政治、2大政党政治の結果であって、とくに、日本に最適という事情ではなかった。なんと言っても、日本は天皇主権を標榜する君主制国家であったからである。

 おそらく、GHQの担当者は日本が民主主義の成熟度(民度)が低く、大統領制よりも議員内閣制のほうがコントロールしやすいと考えたのだろう。ましてや議会は世襲議員が多数派となる状況など夢想だにしなかった筈である。

 国民はやっと自らの手、自らの意思で、日本にふさわしい政治制度を構築することができる時代を迎えている。そのためには基本的に主権者教育や、国民主権者としての権利意識の醸成が前提となる。現況がそれらには程遠い事情にあることは、事理弁識能力をそなえた識者であれば痛感するはずである。

(了)

(1)-(中)
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