【縄文道通信第46号】縄文語から大和言葉への系譜―ノーム・チョムスキーの言語学から―今も息づいている未来に活かせる道(後)
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(一社)縄文道研究所
NetIB-Newsでは、(一社)縄文道研究所の「縄文道通信」を掲載していく。
今回は第46号の記事を紹介。縄文語~縄文人同士の対話
前文字文化の言葉の伝達方法は、以下2種類と考えられる。
(1)物語、ニュース、先祖からの言い伝え
知恵、情報などを人から人へと伝える言葉。大和言葉――やま、うみ、そら、の(野)、はら、はな、など、すべてが音声言語である。
(2)頭には思い浮かぶが、言葉に置き換えられないイメージとしての知
たとえば、実際の姿や身振りを見たり、メロディーを聞いたりなど、知覚することによってのみ伝えられる言葉、すなわちオノマトペである。小学館から発刊された『日本語オノマトペ辞典』には、4,500語が網羅されている。
縄文語は上述の(1)(2)を合わせて、縄文文化圏のなかで話し言葉として発達してきたと考えられる。話し言葉が発達する過程のなかで、大和言葉とオノマトペが共に用いられていたと推論される。
縄文人同士の対話の方法は、以下のように推察される。
<自然対象>
山、川、海、森など、身の回りに存在していた自然を話し言葉で表していたであろう。<物対象>
土、火、水を使用していたことから、生活のなかで使うモノを話し言葉で表していたであろう。考古学の最高権威者のうちの1人である国学院大学名誉教授の小林達雄先生は縄文土器の装飾、突起物を「トッキ」と音読みで発音していたと推論されている。<人間同士の言葉のやりとり>
オノマトペを含めた話し言葉で喜怒哀楽を表現し、複雑なやりとりも行っていたであろう。<物々交換>
道具として用いられる黒曜石、装身具として用いられる琥珀や翡翠が、生産地から消費地の遠方の部落へと運ばれていた。取引にあたり、モノを特定して数量を指示する時は、明確な伝達上の言葉が使用されていたと考えられる。<住居、大型遺跡、丸木船>
建設にあたっては、資材の名称・数量・質・位置を確認し、測量する必要があるため、高いレベルの制作技術が要求されることから、極めて豊富な語彙体系が確立されていたと推察される。とくに三内丸山遺跡の高層木造建築は、旧丸ビルより高層の木造建築であるため、現代の建築家の視点からも「相当高度な技術がなければ、建築できない」と見られている。言葉が存在しなければ、現場に指示や伝達もできないため、高度に発展した言葉が存在していたと考えられる。
縄文語は縄文中期を起源とする説が有力
現在までに明らかになっている説をまとめてみよう。
(1)現在の話し言葉には、縄文語の話し言葉の残滓がある。
縄文語は音節から判断して大和言葉であり、その起源は三内丸山遺跡を始めとして同文化がもっとも繁栄した縄文中期と評価されている。とくにアイヌ語、沖縄語の話し言葉の母音、子音から、現代の話し言葉に縄文語の残渣が残っていると推論される。
『縄文語の発見』(小泉 保 著)によると、現在までの考古学では、文字や書き言葉の遺物が発見されていないという。現在の学問的な解釈では、文字が発見されているのは古墳時代以降ということである。
(2)弥生時代・古墳時代の約1,000年間で大陸から漢語が入り、書き言葉が大きく進化した。
上述のように「縄文語」の起源は、大和言葉とオノマトペにあるため、縄文中期が起源という説が有力になりつつある。
『神武天皇「以前」縄文中期に天皇制の原型が誕生した』(宮崎 正弘 著、大和言葉は縄文中期に起源ありという記述がある)も昨年に刊行された。
最後に、勇気と元気の出るオノマトペで締めくくりたい。
キラキラ きらきらと 輝き
ニコニコ にこにこと 笑い
ランラン らんらんと 目を輝かせ
ドンドン どんどん 前向きに
イキイキ いきいきと 生き抜こう(了)
<参考資料>
『新約聖書』「ヨハネによる福音書」第1節
『チョムスキー言語学講義』(ノーム・チョムスキー 著)
『列島創世期』(松本 武彦 著)
『日本語の発見』(小泉 保 著)
『縄文文化が日本人の未来を拓く』(小林 達雄 著)
『「縄文」の新常識を知れば日本の謎が解ける』(関 裕二 著)
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