2024年11月27日( 水 )

ハウステンボスの歴史と福岡経済界の関わり

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 筆者は、ハウステンボス(以下、HTB)の一時期の歴史に深く関わった。エンターテインメント関連事業の業務に詳しく、その実体験のある人物Aにインタビューを行った。Aは、神近氏がHTBの代表者を辞任した2000年頃から、紆余曲折の末に現在のHTBがHIS代表・澤田氏に引き続がれる2010年までの劇的な継承ドラマの直前に至るまで、そのすべての実務を水面下で経験している人物である。

ハウステンボスへの想いを語る故・神近氏

 Aによると、神近氏は、HTB社が2003年2月に会社更生法の申請をするまで、代表を退いたとはいえ、故人は意気軒昂で、ゴルフもよく一緒にしていた。その都度、自身が創業した自然環境を考慮したHTB施設の各システムの自慢話をしていたという。これは一般の来場客には見えないが、隠れた仕組みのもので、これが現在までのHTBを支えていると言っても過言ではない。この哲学は、HTBに隣接するかたちで設立されている「エコ研究所」に具現化されており、これは神近氏と宅島氏との長きに渡わたる友情によりって設立されたものだ。

 事実上、その後から、HTB社の波乱万丈なドラマの歴史が始まるのである。創業時のメインバンクである日本興業銀行から出向してきた社員が社長、幹部職員として「手のひらを返した」ように慇懃無礼な態度を取り、創業者の神近氏は疎んじられた。彼らはその環境で残務整理と会社更生に挑むことになったのである。

 しかし、数字しか見ることのできない銀行出身のサラリーマン社長と幹部職員は、HTBを改善するどころか、業績はむしろ悪化の一途をたどっていった。当時、このHTBを情熱を抱いてつくり上げた神近氏とそれを側でみていた宅島氏(当初は個人での筆頭株主)の思いは如何ばかりだったかとAは当時を回想している。

 この興銀出身のサラリーマン社長たちは、何らの助けにもならず、オランダ村の街並みのなかにタコ焼き屋を開設するという状況であり、出向社員はみな改善するどころか、なり振ふり構わずに自身の身の保全を図るばかりであり、業績はますます悪化の一途をたどっていった。このように埒が明かなくなったため、04年の会社更生計画案の提出時には野村不動産が代わりに登場することとなる。

 しかし、野村不動産も大同小異であり、同様に同社から出向してきたサラリーマン社長と幹部職員たちによる「起死回生」などは夢のまた夢であり、会社更生計画を実現するどころか、09年には全面的にギブアップし、HTBは3回目の閉鎖の危機に直面するのである。

 この09年年末から10年初頭にかけてのHTB閉鎖の危機において、一般的には知られていないが、HTBと福岡経済界(七社会)とのドラマが展開された。まだHISとは何も話していなかった時期である。

 福岡経済界とのドラマがその最大の理由はのなかで最大のものは、九州電力と西部ガスによるものである。創業者神近氏の創業期の哲学に基づき、HTBにはが開業当初から電力、熱エネルギーなどを民生用として隣接地域に供給している大がかりなセンター施設があり、現在も稼働している。それは現在のHTB技術センター(株)やHTBエナジー(株)などの施設である。これが結果的にはHTBが幾度におよぶ閉鎖の危機を免れた最重要大の理由である。遊園地の機能だけの施設だけであれば、早くに閉鎖されていたかもしれない。

 当時、HTB施設内の各種エネルギー施設の主体は九州電力、西部ガスなどであり、簡単にはHTBを閉鎖できないため、九州電力は自社が代表格の福岡七社会にHTBの経営継承を強く打診し、協力を要請するに至るのである。
九州電力らの努力にもかかわらず、あいにく七社会から協力者は出ず、HTBは創業以来の最悪の「閉鎖危機」を迎えるのである。

 しかし、念ずれば通ずというべきか。HIS・澤田氏が登場する。その後は、よく知られている通り、澤田氏の「1人舞台」である。創業期に2,000億円以上投資したものをわずか15億円で買い取った。厳密にいえば、約6割の10億円弱のみであり、残りは上記の理由から、九州電力や西部ガス、JR九州などが新規株主を引き受けている。さらに長期の公租公課、各種の減免措置などを受けている。その後は、澤田氏の努力により一昨年は300万人を超える集客実績を上げ、利益を出した。もっとも、見方を変えれば、上記の理由からそれは当たり前の結果だといえる。

 現在のようなコロナ感染拡大の環境下において、 IRの誘致策で救えるのだろうか。超安値で買収したHIS・澤田氏に対して、200億円を上回る地価の土地譲渡の事前の約束をしてまでのカジノ施設誘致開発とは何なのか。長崎行政と佐世保市行政は神近氏逝去で何を思うのか。疑問ばかりが残る。

 神近氏は結果として失敗したとはいえ、歴史上稀にみる人物である。本物のオランダの街を彷彿とさせる、彼の信念である環境優先の哲学が、そして、その関連施設が、HTB閉鎖の危機を何度も救っているといえよう。
 従って、これに反する、何でもありのHTBの現在の姿を、彼の死とともに、Aも含めて、各関係者は考え直すべきと思うのは筆者だけではないだろう。

【青木 義彦】

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