2024年11月14日( 木 )

元総合商社駐在員・中川十郎氏の履歴書(21)リオデジャネイロからパラグアイへの機上での出会い

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日本ビジネスインテリジェンス協会会長・中川十郎氏

ニューデリー時代の知人と機上で再会

 パラグアイの首都アスンシオンで開催される世界銀行ケネディ・ラウンド無償援助資金での入札に参加するため、リオデジャネイロからルフトハンザ航空機に搭乗した。

 飛行機が離陸してしばらくすると、フライトアテンダントがコーヒーのサ-ビスに訪れた。フライトアテンダントは筆者の顔を見ると「中川氏ではないか。ニューデリーでお世話になったゲルタ・カインツです」と驚きの声を上げた。カインツ氏は、「ビジネスクラスが空いているのでどうぞ」と、ビジネスクラス席に移してくれた。

 カインツ氏とはかつてニューデリー時代、ルフトハンザに務めている知人の紹介で出会った。カインツ氏は、同僚のパイロットや機関士、フライトアテンダントと筆者の社宅を訪れ、筆者が懇意にしていたインドの星占い師のシャルマ氏に運勢を見てもらっていた。

 カインツ氏は「6月に私の誕生祝を同僚が開催してくれるので、あなたもぜひ参加ください」と誘ってくれた。筆者が「私も6月5日が誕生日です。ぜひ参加します」と答えると、「それならドイツと日本の合同パーティを開催しましょう。ドイツの有名な白ワインを準備します」という。リオデジャネイロの山の手にある見晴らしの良いクラブのプールサイドで日独20人が参加する合同誕生パーティが実現した。

高山中学校のご縁~二階堂進(自民党元副総裁)氏とも再会

ラ・サール高校3年D組一同
二列目、左から3人目が筆者

 ビジネスクラス席に移ると、向かいの席から「中川氏ではないか。どうして南米にいるのだ」と声をかけられた。振り返ると、声の主は筆者の郷里である鹿児島県高山町(現・肝付町)出身の自民党副総裁・官房長官を歴任した二階堂進氏ではないか。筆者は「世界銀行の資金による農業用資機材の入札で日本製品を売り込むため、パラグアイに行くところです」と答えると、二階堂氏は「僕は日本パラグアイ友好議員連盟会長として、パラグアイを訪問するところだ。パラグアイには日本人の農業移民も多い。日本製の農業資機材が供給されると喜ぶと思う。落札に全力を尽くしなさい」と激励された。

二階堂進PTA会長ご紹介の
米国ロスアンジェルスのドナ・ヒュー(18歳)
ペンパル(文通相手)

 筆者が高山中学校の生徒だったとき、二階堂進PTA会長が米国を訪問されることになった。二階堂氏に学生が書いた英文の手紙を託し、米国の中学生と英語の手紙で交流をすることで、英語に興味をもたせようとのご配慮であった。二階堂氏に紹介してもらった米国のペンパルと英語で交流したことが、筆者の英語への関心を高めた。筆者が進学したラサール高校はフランス系カトリックのミッションスクールで、英語とフランス語の語学、英語での新約聖書や旧約聖書の購読、倫理が必須だった。

 父が筆者の大学進学について二階堂氏に相談したところ、「これからの時代は国際化が進むため、英語が重要になる。ご子息を上京させて、英語と国際関係を勉強させてはどうか」とアドバイスを受けたという。筆者が東京外語大に入学したのは、二階堂氏のアドバイスのおかげでもある。

 二階堂氏は若いころに米国に留学し、夜はホテルで皿洗いをしながら、南カリフォルニア大学で苦学した経験があり、英語力は抜群であった。二階堂氏とはご縁が深く、のちのニューヨーク駐在中にワシントンのホテルでもばったり出会った。「あなたとは世界のあちこちでよく会うね。これも高山中学校のご縁かね」と話しておられたことを懐かしく思い出す。

(つづく)


<プロフィール>
中川 十郎(なかがわ・ じゅうろう)

 鹿児島ラサール高等学校卒。東京外国語大学イタリア学科・国際関係専修課程卒業後、ニチメン(現:双日)入社。海外駐在20年。業務本部米州部長補佐、米国ニチメン・ニューヨーク開発担当副社長、愛知学院大学商学部教授、東京経済大学経営学部教授、同大学院教授、国際貿易、ビジネスコミュニケーション論、グローバルマーケティング研究。2006年4月より日本大学国際関係学部講師(国際マーケティング論、国際経営論入門、経営学原論)、2007年4月より日本大学大学院グローバルビジネス研究科講師(競争と情報、テクノロジーインテリジェンス)

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