2024年11月24日( 日 )

元総合商社駐在員・中川十郎氏の履歴書(22)パラグアイ・ストロエスネル大統領と小野田寛郎元陸軍少尉の面談

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日本ビジネスインテリジェンス協会会長・中川十郎氏

 世界銀行のケネディ・ラウンド無償援助プロジェクトで、農業用トラクター、耕運機、エンジン、ポンプ、噴霧器など日本製農業資機材の落札に協力いただいた日本人移民で、パラグアイの首都アスンシオンで活躍しているY商会・Y社長より、「親日家で日本の戦闘機零戦の研究もしているパラグアイのストロエスネル大統領がフィリピン・ルバング島で戦後30年間も闘った小野田寛郎元陸軍少尉に関心をもたれている。ブラジルの小野田元少尉をぜひパラグアイに招いていただけないか」と依頼があった。

 幸いなことに筆者は、小野田元少尉とはリオデジャネイロで面談して以来、懇意にしているため、ストロエスネル大統領との面談を相談すると、快諾された。大統領との面談が実現し、小野田元少尉は町枝夫人とアスンシオンのストロエスネル大統領官邸を訪問した。

 ストロエスネル大統領は、小野田元少尉が上司からの命令を忠実に守り、残置諜者として戦後30年もの間、フィリピンのジャングルで戦ったことを「軍人の鑑である」と称賛された。小野田元少尉は機械にも詳しく、「零戦は当時、世界一の性能をもつ戦闘機であった」と詳しく説明され、大統領と話が弾んだ。しかし、ストロエスネル大統領は小野田元少尉から、「日本への帰国時の手当ては戦時中の規定を踏襲していたため、帰国時に故郷の和歌山までの切符代が足りず、赤字であった」ことを聞いて、大変驚かれた。

 小野田元少尉は帰国後、日本の戦後の現状に満足できず、帰国後1年もしないうちにブラジルに移住した。ブラジル南部のマットグロッソ州で、自身で資金を確保して成田空港よりも広い原始林を切り拓き、苦労して牧場を創設した。ストロエスネル大統領は、小野田元少尉が1,000頭もの牛を飼育しておられるという話を聞いて、非常に感銘を受けておられた。ストロエスネル大統領は小野田元少尉との別れ際、「パラグアイはいつでも受け入れますので、遠慮せずにお越しください」と熱い握手を交わされた。

 小野田元少尉は若いころに、田島洋行の商社マンとして中国・漢口(現在の武漢市)に駐在し、漆の輸入にも携わっておられた。中国駐在時にはダンスホールに通い、ルーレットなども得意だったという。ストロエスネル大統領と面談した夜は、パラグアイの有名な民族舞踊やハープ音楽を味わい、アスンシオンのカジノでルーレットを楽しまれた。

 筆者は、小野田元少尉がフィリピンのルパング島のジャングルに潜んで30年間も戦ったとは思えないほどの柔軟な精神を持っておられることに感銘を受けた。むしろ、このような柔軟な思考方法が、30年に及ぶ孤独な戦いを生き延びられた理由なのだろうと痛感した。

(つづく)


<プロフィール>
中川 十郎(なかがわ・ じゅうろう)

 鹿児島ラサール高等学校卒。東京外国語大学イタリア学科・国際関係専修課程卒業後、ニチメン(現:双日)入社。海外駐在20年。業務本部米州部長補佐、米国ニチメン・ニューヨーク開発担当副社長、愛知学院大学商学部教授、東京経済大学経営学部教授、同大学院教授、国際貿易、ビジネスコミュニケーション論、グローバルマーケティング研究。2006年4月より日本大学国際関係学部講師(国際マーケティング論、国際経営論入門、経営学原論)、2007年4月より日本大学大学院グローバルビジネス研究科講師(競争と情報、テクノロジーインテリジェンス)

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