2024年11月24日( 日 )

NTT対ドコモ、28年にわたる暗闘の歴史~ドコモの完全子会社化で決着(4)

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 「携帯電話料金の4割値下げ」に執念を燃やす菅義偉政権が誕生した。早速動きがあった。政府が筆頭株主のNTTは、4兆2,500億円を投じてNTTドコモ(以下、ドコモ)を完全子会社化する。ドコモが二の足を踏んできた携帯電話料金の値下げを、菅政権の意をくんでNTT主導で実施するためだ。
 ドコモが1992年にNTTから分離独立して以来、両社の間は緊張関係にあったが、NTTが今回、資本の論理でねじ伏せた。NTTとドコモの暗闘の歴史を振り返る。

ドコモは悲願としたNTT社長争奪戦で敗れる

 ドコモの役員や幹部社員の悲願といえるのが、NTT社長にドコモ出身者が就任することだった。NTTグループの7~9割の営業利益を稼ぎ出しながら、ドコモは持株会社の社長を送り出せなかった。

 2008年に技術系の山田隆持がドコモ4代目社長に就いた。12年の首脳人事の最大の焦点は、ドコモの山田が持株会社のトップになるかどうかだった。山田はNTT西日本の設備部長をつとめてドコモに移った技術系のホープだ。「ドコモから初の持株会社社長誕生」とドコモプロパーたちの期待を一身に集めた。

 だが、ドコモは敗れた。持株会社NTTは社長の三浦煌が会長となり、後任には副社長の鵜浦博夫が昇格した。以前は技術系と事務系の出身者が交互に社長に就任する、たすき掛けが慣例だったが、次期社長に内定した鵜浦は事務系。人事畑が長く、労務畑社長が多かったNTTでは傍流だか、三浦社長の懐刀として重用されてきた。

 NTTのトップは02年就任の和田紀夫(労務畑)、07年の三浦煌(労務畑)に続いて、12年の鵜浦博夫(人事畑)と、労務・人事畑の事務系が3代続くことになった。

 大星や立川が社長だった時代には考えられないことだが、持株会社の影響力が格段に強まったということだ。山田の持株会社の社長就任の可能性は消えた。ドコモは山田に代わり技術系の加藤薫が5代目社長に就いた。労務・人事畑がドコモ封じ込めに成功したとささやかれた。

8代社長の澤田純が切り込んだドコモ人事

 18年6月、技術系の澤田純が第8代NTT社長に就任した。澤田は国際畑のエースとして、鵜浦の後継候補の筆頭として早くから下馬評に上っていた。技術畑からの持株会社社長は、和田、三浦、鵜浦と労務畑など事務系3代の後、16年ぶり。第4代社長の宮津以来となる。

 澤田の使命は、ドコモ問題に決着をつけることだった。

 20年5月に発表されたNTTグループの新たな幹部人事は、ドコモに驚きをもたらした。「役所以上に役所的」といわれるNTTの人事には、年次主義や技術系や事務系のタスキ掛けといった鉄則が今でも色濃く残っている。NTTグループの社員は、異動で赴任してくる上司が、何年入社で、事務系か技術系かをもっとも気にするといわれている。

 持株会社は事務系支配に動いたが、事業会社の幹部人事は、事務系と技術系のバランスを取るという暗黙のルールがある。

 今回の人事で交代説がささやかれていた吉澤和弘社長は続投。吉澤は加藤の後任として16年にドコモの6代目社長に就いた。無線技術者で、ドコモ初の生え抜きである。初代の大星や、2代目の立川のように、社長を5年以上務めるケースもあるが、その後は2期4年で交代がルール。吉澤はドコモでは珍しい5年目に突入する。

 今回、異例だったのはドコモの副社長交代だ。次期社長の呼び声が高かった事務系の副社長の辻上広志が退任し、後任にNTTの副社長である技術系の井伊基之を充てた。ドコモで代表権を持つ社長と2人の副社長すべてが技術系という、過去に例がない事態になった。

 その数カ月後、ドコモ人事の意図が明らかにになる。

(つづく)

【森村 和男】

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