2024年11月24日( 日 )

【凡学一生の優しい法律学】日本学術会議委員任命拒否事件(3)橋下氏の詭弁(後)

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(6)止まることを知らない詭弁

 橋下氏は学術会議会員の選任(推薦と任命)について、推薦権者と任命権者が事前に調整をするのは当然とし、それを批判する者は人事に携わったことのない者と、今回の批判をあたかも人事の秘事を知らない無知に基づくものかのごとく主張した。

 法令の文言上に推薦者と任命者の2名が規定されていること自体が稀であり、橋下氏がいうように「任命権者は任命する際に事前の調整などしない」のが通常の任命である。通常の任命とは、任命者が法文の規定の有無にかかわらず任命権限を保有している場合であり、任命つまり「任に命ずる」こと、自己が保有する権限を委任する一般の場合である。

 そのため、本事件の会員任命は明らかに通常の任命手続ではない。それを自覚して、橋下氏は事前調整を当然としたが、事前調整とはいかなる原理原則で行われるのか。菅総理大臣は学術会議の推薦を否定したため、事前調整は存在しないか、事前調整が不調である結果、菅総理大臣の意向が優先されたことになる。結局のところ、橋下氏は「推薦する」という文言を単に任命権者である総理大臣に対する事前調整の請求権程度に解釈したことになる。つまり、学術会議の推薦を無視しても問題がないという論理が前提となっており、暴論であることは明白だ。

 また、「推薦が最終決定なら学術会議が任命権者となる」と正しい理解はできるにもかかわらず、「今の学術会議会員の任命権者を学術会議とすることは、さすがにできないはず」と主張する。まさか、総理大臣が「任命する」という文言を盾に、法技術にすぎない一面をもつ文言を絶対視して、実質的関係を否定するものではあるまい。確かに文言そのものを否定することはできないが、実質的には任命権がない場合でも法技術、法令上のテクニックとして選定権者と任命権者を区別して表現する有名な例として、憲法第7条第5項の国事行為がある。

 橋下氏の論述は、さらに「だから推薦権にとどめた」と続く。ここでは「推薦」という用語を限定的に解釈し、任命権者への上申権、「おうかがい権」の性質であると決定してしまった。つまり、橋下氏の論理の根本には総理大臣が絶対的な任命権者という結論が最初にあるため、誰が任命権者かという議論では帰納的論理(結論が先にある論法)として排斥されなければならない誤った論理である。

 誰が任命権者であるかは第一義には法令の文言によるが、推薦権者や助言・承認権者がいる場合は通常、彼らが実質的な任命権者である。なお、天皇の国事行為に対する助言と承認は、総理大臣個人ではなく国務大臣により構成される内閣が行う。この場合、総理大臣は内閣の一員にすぎない。

 本事件において誰が実質的な任命権者かということが問題になるが、推薦権者の規定の存在のみではなく、総理大臣が任命権者であるとする正当な根拠が「任命する」という文言のみである。総理大臣が行政執行の最終権限者といっても、学術会議会員として期待されている行為は行政行為・行政処分ではないため、そもそも総理大臣が保有する行政執行権の委任ではない。そのため、実質的な意味でも任命関係が存在しない。

 学術会議が国費で運営されることから、総理大臣の任命権が当然視されることはない。国費で運営される「国家機関」にすぎず、すべての国家機関について総理大臣が任命権をもつとする法的根拠はまったくない。

 公務員の地位は正確にいえば、公務員試験に合格することで得られるもので総理大臣の裁量の余地はない。ただし、具体的な職位、行政執行権は任命による。職位にともなう権限は法律で事前に規定されているため、実際には「辞令」というかたちで「任命」は行われている。つまり公務員においても地位と職位は区別され、職位が任命の対象となる。本事件では学術会議の会員は国費を使用して研究調査を行い、報酬も国費から支弁されるために特別公務員とされるが、それは地位であって職位ではない。そのことが、直ちに総理大臣の任命権を帰結するものでないことは明白である。

 橋下氏の一連の詭弁でもっとも悪質であるのは「学術会議の意見のバランス」を「政治がチェックできる」とする論述である。この議論は、完全な空想の世界のものであることを読者は理解できるだろうか。「来世での幸福」は「現世での熱心な修業にある」とする論述と同じく、観念的には理解できても具体的・客観的に把握できないものが、「意見のバランス」である。結局のところ、総理大臣の意向が正当な「政治のチェック」とされるため、これほど政権擁護のゴマすり論理はないといえる。

 橋下氏は多様な意見を保持することが総理大臣の責務と主張するが、多様な意見は時には批判一色の意見となる。意見は事案ごとに分散分布するのだ。今回、任命を拒否された6人はある意味で一色である。そもそも多様性を保持するための任命拒否行為そのものを客観的に確認することはできない。それでも橋下氏は、菅総理大臣の任命拒否行為が正当だというのだろうか。

(了)

(3)-(中)
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