【凡学一生の優しい法律学】日本学術会議委員任命拒否事件(5)(前)
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結語~絶望の無法国家
裁判官を退官し、現在では学者生活を送っている瀬木比呂志氏は、長年の裁判官生活を省みて司法権の腐敗を「絶望の裁判所」という著作のなかで描いた。日本は三権分立ではなく立法権は画餅であり、行政権がほかの国権まで圧倒的に支配しており、「絶望の国会」「絶望の内閣」と表現することは実態にそぐわず、「絶望の国家」と表現しなければならない。
日本学術会議(以下、学術会議)をめぐり発生した総理大臣の違法行為は、その象徴的な事件である。筆者は、官邸の違法行為をあたかも当然の行為かのごとく詭弁で応援、擁護する橋下弁護士の弁論活動を論理的に弾劾してきた。しかし本来ならば筆者が行っていることは、野党議員や一般の弁護士がはたすべき役割である。
長年、国会議員を多選や世襲で務めてきた人々が現役を引退しても、誰も己の非力を悔やみ、国家・国民に対し何の功績も果たさなかった反省の弁を語ることもない。これは完全に国会議員の地位が利権的地位稼業と化していることの証左である。
立法担当者の立法知らず
国会議員の主たる業務は立法であるが、実態は閣法(内閣が提出する法律)が法律のほとんどを占める世界である。つまり、国会議員が議員として法案を提出する能力は、ほぼ皆無である。このため、弁護士・橋下氏の自由自在の言説・詭弁に対して一言も反論できない。それなら日本の弁護士資格をもった人間のみから国会議員を選出したほうが、よほど国民は納得するだろう。野党の党首は弁護士だが、1970年代の学生運動家の論理から一歩もでていない政府批判を繰り返すだけであるから、国民にはもはや「善意の狼少年」としか写らない。そのような人物に政治の理想を実現する希望を託す人も限られているだろう。
野党議員の呆れた論戦
国会では野党議員が、日本学術会議法の総理大臣の「任命する」との文言について「解釈を変更したのではないか」と追及している。立法担当者である国会議員がこのような奇妙な議論を真剣に国会で行っていること自体が、国会議員の法に対する無知をさらけ出していることを当人は自覚していない。
この馬鹿げた無能劇の背景には、「内閣法制局」という明治以来の権威主義的な法解釈国家制度の存在がある。内閣の法律の公権的解釈を権威づける制度である。この内閣法制局の公権解釈に変更があったのではないかと争っているが、実に馬鹿げた議論である。自分の目で見て、日本語で書かれた法文の意味を理解できないのか、という根本的な疑問さえ抱く。
「法律の解釈を権威に頼る姿勢こそ、立法担当者の責務を放棄し、その資格なき姿であることがわからないのか」と言いたい。法律は成立した時から一貫して、その意義は一義的であり、「解釈の変更」などあり得るはずはない。
(つづく)
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