2024年12月25日( 水 )

良きライバル福岡市前副市長・貞刈厚仁氏*中園政直氏~最後にはどちらが笑うか(2)ご本人もなぜ、副市長になったのか不明

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謎?誰にもわからない

 前回、貞刈氏を“向日葵”、中園氏を“月見草”と表現した。中園氏の副市長抜擢は、今流にいえばもともと学歴・人脈に恵まれないものの、叩き上げで就任した菅首相に似ている(多少、買い被り過ぎか)。福岡高校卒で入庁(末尾の経歴参照)した中園氏が副市長に抜擢されたのは異例中の異例だ(職員時代に福岡大学2部を卒業)。前例を遡れば40年目になるという。

 副市長の前のポストは農林水産局水産部長である。局長ポストの連中からは「中園部長ごときがどうして副市長に選ばれたのか!」と嫉妬暴言を吐かれたのは至極当然。貞刈副市長誕生は実力通りと誰しもが納得したのとは好対照的であり、中園氏本人もそのことは承知している。ところが民間での人気は高い。2006年から4年、財政局財政部契約課長に就き、このときに民間で顔が広がった。

 この契約課長時代は山崎広太郎市政時期にあたる。中園氏は山崎市政を支えていたS・Hとは懇意の仲であった。この周辺にいたMの証言によると「中園氏とSとは気が合っていた」となる。筆者はSとは昵懇にしていたものの、当時、中園氏の存在を意識していなかった。同氏との最初の名刺交換は1993年12月であった。当時の肩書は福岡市衛生局管理部主査。

 要するに、中園氏は市政の体制が変わっても内部へ喰い込む要領には非常に長けていたのである。ガサツな(妬みをもった福岡市職員OB)意見を披露する。「2010年11月の市長選で1期目挑戦の高島陣営に肩入れしたので高島市長からの覚えがめでたくなったのさ」と。この意見には承服できないところがある。別に選挙活動をしなくとも内部へ食い込んでいたはずだ。新体制に巧妙に入り込む中園氏の卓越した能力への嫉妬・当てつけと思料される。

高島市長のドラマつくりの仕掛けはなかった

 副市長昇格の推進役は「S.・Hパワー」と見立てだが、13年4月(副市長就任)の時点でこのパワーに高島市政のなかに食い込めるほどの力は皆無であり、むしろ高島市長と反目していた(後半にはある程度、喰い込んだが)。となると謎は深まるばかり。
 ここに奇想天外の珍説が登場する。「高島市長はマスコミ出身だ。高卒(入庁当時)の中園氏を副市長にまで抜擢させて、仕事をしっかりすれば誰でもが出世できるぞ!アピールする人気取り策を打ったのではないか。この程度のシナリオを描くことは容易であろう」とのいうものだ。高島市長の頭脳にはそのような戯けた構想を練る余地も関心もまったくない。

ただ与えられた職制を全うするだけ

 中園氏の副市長抜擢の原因を類推すれば、唯一同氏の契約課長時代の蓄積を買ったということであろう。高島市長は「民間との契約に接触して巻き込まれたくない」という強い潔癖感を抱いている。「俺のところまでややこしい案件が飛んでこないよう、前捌きしてくれる能力をもった職員はいないか」と検討した過程で中園氏の存在がクローズアップされたのではないだろうか。

 「どうして副市長になれたかわからない。しかし、任命を受けた以上、職制を全うしてきた」と本人は優等生らしく回答する。「なれると思わなかった」福岡市副市長のポストに6年君臨したから満足できるであろう。しかし、強運はまだまだ続く。

中園氏の運勢

 1952年10月10日 三碧・六白・坤方生まれ・乾方暗持ち

*人物として
 老成(若くして風格がある)で創始の業につき気鋭なりといえども、一面偏屈軽挙にしてことを誤ることが多い。その性格は馬鹿正直で一本気。物事の捉え方は発展的だが、その情愛が極端すぎて、偏愛(好き嫌いがはっきりしている)の傾向が強い。
 愛嬌があり、人受けすると同時に気配りをすることもできるが、言葉が正直過ぎてストレートにいうため、かえって嫌がられ、行き違い、聞き違い、思い違いを起こしやすい。まめでコツコツよく働くが、何か物事を決定する速度は遅い。
 極端に頑固で意固地なところがあり、自分で納得することには積極的であるが、自分が納得できない事、理解できないことに対しては、梃子でも動かない融通の利かない人。
 他人からの助言も同様で、自分が好きな人・認めている人の助言などには耳を貸すが、そうでない人からの助言にはまったく耳を貸さない。若年にて早いうちから成功を収める運をもっています。

 以上、筆者が薫陶を受けている気学の先生にまとめていただいた。中園氏との付き合いがある人には納得するところが多々あるはずだ。

(つづく)


中園 政直(なかぞの・まさなお)
 1973年4月福岡大学商学部第二部商学科入学、同年6月福岡市入庁。1977年福岡大学卒業。2006年財政局財政部契約課長、10年住宅都市局住宅部長、12年農林水産局水産部長などを経て、13年に福岡市副市長に就任。19年6月に博多港ふ頭(株)代表取締役社長に就任。

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