河村恭輔・勝美夫妻が築き上げた経営の真髄とは(前)
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ゼオライト(株)
良い水創りに人生を捧げた河村恭輔名誉会長。恭輔名誉会長は人生の幕を下ろすまで、会社の行末を案じていたという。良い水創り・人財(ひと)創り、技術革新一筋に生きた恭輔名誉会長。恭輔名誉会長を献身的に支え、現在のゼオライト(株)における経営体制を作り上げた河村勝美会長。恭輔・勝美夫妻が苦楽をともにしながら、お客さまと社員の幸せを第一にした軌跡と経営の真髄を綴る。
下請施工からスタート
1969年11月『良い水創り・人財(ひと)創り』を目的とした事業を、河村恭輔氏が創業。70年8月ゼオライト(株)に法人改租し、恭輔氏が代表取締役に就任。2004年8月に河村勝美氏が代表取締役社長に就任し、長年に渡り恭輔・勝美夫妻が2人三脚で同社経営の舵取りを行ってきた。
『良い水創り・人財(ひと)創り』において恭輔名誉会長は生前、「水博士」としてひたむきに水と技術の研究開発を続け、勝美氏は営業の最前線で新規開拓に尽力した。恭輔・勝美夫妻の『良い水創り・人財(ひと)創り』への取り組みにより、福岡県のみならず、全国各地において受注を拡大させ、強固な営業基盤を構築した。
現在は国内における水のリーディングカンパニーとして認知されている。しかし創業より平成中期までは、ゼネコンおよび設備・管工事の下請施工で約90%の事業構築を行っていた。売上高は、5〜10億円のゾーンを推移しながら低い収益性の財務体質に終始していた。
同社代表取締役社長・嶋村謙志氏は、「我が社が下請だった当時は、ゼネコンやサブコン、設備工事会社へ毎日営業担当が訪問して、受注活動をしておりました。恭輔名誉会長の高い技術とノウハウに対する、お客さまの高い信頼度は現在と同様でした。ただ当時の経営体制はまだ強固でなかったので、業績面では苦戦しておりました。私は1996年入社で、メンテナンスを担当しておりました」と振り返る。
恭輔氏が丹精込めた「良い水創り」への技術開発は周知されていたものの、高い技術を発揮するための販路拡大が、まだ途上であった。
直接営業への転換
下請施工中心であった同社の事業展開は、98年7月期でピリオドを打ち、直接顧客への営業体制に転換した。恭輔氏の決断であった。「日創研さんで学び続けたことによる気づきで下請施工90%を10%以下の営業体制に転換しました」(嶋村代表)。下請当時から逆浸透膜(RO膜)の技術を駆使し、水処理技術を生かしたプラント施工では福岡で第一人者である同社は、直接商業施設や病院など施設への営業を実施した。加えてRO膜を駆使した浄水器『わかみず』の製造販売を立ち上げたのは97年で、翌年には『わかみず』ブランドのミネラルウォーターの宅配を開始した。
『わかみず』事業展開についても恭輔氏が米国に視察に行った際に、浄水器システムに水タンクを付けた事業を目の当たりにして、「日本にないサービスだ。すぐにやろう」と即決して実現したものだ。現在は、水タンク購入とサーバーレンタルをセットにした事業は多数存在するなか、国内で最初に手がけたのが同社で、恭輔氏の決断であった。プラント事業はエンドユーザーへ、『わかみず』事業は一般顧客へそれぞれ直接営業を展開した。
事業転換した99年7月期の売上高は前年より減少した7億9,900万円であったものの、2000年7月期は11億1,600万円の売上高となり、設立以来最高売上高を計上した。01年には、JR九州・小倉ターミナルビルの水処理施設を設置・施工したことをきっかけに、同社の優れた水処理技術が広く認知され、各方面からの打診が相次いだ。04年7月期は売上高14億円までに上昇し、今日の経営体制における礎を築くこととなった。恭輔氏の先見性による英断で、同社の全国展開の足がかりとなった時期だ。創業から50年間で、全国の公共施設・商業施設・医療施設・福祉施設、そしてホテル・工場など幅広い分野1,200カ所以上で、RO膜を駆使した水処理施設が採用された礎となった時期でもあった。
(つづく)
【河原 清明】
<COMPANY INFORMATION>
代表取締役会長:河村 勝美
代表取締役社長:嶋村 謙志
所在地:福岡市博多区那珂5-1-11
設 立:1970年8月
資本金:9,000万円
売上高:(20/7)32億5,000万円
TEL:092-441-0793
URL:https://www.zeolite.co.jp法人名
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