2024年11月22日( 金 )

【凡学一生の優しい法律学】法匪による「文春」いじめ

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 『週刊文春』が(公財)東京オリンピック・パラリンピック組織委員会(以下、オリパラ委)から著作権法違反で厳重抗議を受け、オリパラ委は訴訟も辞さないと「文春」を脅していることが広く報道されている。

 上記事件に関して弁理士の栗原潔氏が著作権法の専門家としてネットに論文を投稿しているが、著作権法の専門家の解説であるだけに論点がまとまっていて、よく理解できる。しかし、ただ1点だけ、かえって根本的に疑問が深まったことがある。オリパラ委が芸術家に発注した開会式の演出企画の職務著作権者である、との極めて当然に見える「前提論」である。

法人の目的と法律行為の有効、無効

国立競技場 法人はその目的の範囲内でしか、権利能力(法律行為能力)がない。これは法人法制の基本原則であり、そのため、法人はその目的の達成により消滅する。この法理が裁判で争われた最も有名な事件が「八幡製鉄政治献金事件」である。

 営利法人の典型である株式会社には、政党への政治献金などの政治活動はその目的にないため(定款の目的の欄に記載がない)、取締役会が会社資金を特定政党に献金することは違法であると争われた有名事件である。

 最高裁は営利企業の株式会社であっても応分の社会貢献・社会奉仕の行為は許されるため、社会貢献・社会奉仕としてみなされる程度の政党への献金は違法でない旨の判決をした。

 公益財団法人であるオリパラ委は莫大な税金を投入してスポーツ文化活動を行うもので、収益や利益の根拠となるような著作権を保有することは原則としてできず、その意味もなさない。その意味で、著作権は発案した芸術家にとどまっていると解釈される。オリンピックが終了し、オリパラ委が解散・消滅した後のことを考えれば、それは明白である。著作権はもともと発案者にあり、オリパラ委に発生することはなかったと理解される()。

 多額の税金を投入して公益事業を行うオリパラ委に対して、開会式という、それ自体スポーツでもなく、税金の無駄使いをすべきでない単なる通過儀式の演出について、なぜ著作権法の規定による保護が必要になるか、と多くの人は理解に苦しむであろう。

 前述のように、法人であり、加えてオリンピック終了後には消滅する公益財団法人にまったく形式的に著作権法の職務著作権者性を認めることは、まさにオリパラ委の「権利濫用」を容認するに等しい。自然人の著作者が著作権者となる場合とはまったく事情を異にする。公益法人が保有する権利も、公益法人の目的の範囲内に限られるためである。

 永続する法人がその法人の目的に沿ったかたちで職務著作権を保有することは、永続的な収益発生を目的とした投資の当然の結果であるが、開会式という一過性の儀式について、莫大な税金を投入して華美に走り、意外性の追求に巨費を投入すること自体が公益性から遠くかけ離れたものであることは明白であり、この税金の使い方こそが問題の本質である。

※:芸術家とオリパラ委の無名契約については、オリパラ委は発案の期間独占使用権者にすぎず、発案の著作権は芸術家にある、と法律構成できる。オリパラ委が著作権を保有する法的根拠も、その社会的妥当性もまったくないためである。 ^

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