【鹿児島市長インタビュー】観光産業を鹿児島市成長のエンジンに 産業振興で支える子どもたちの未来(中)
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第21代 鹿児島市長 下鶴 隆央 氏
昨年12月に行われた鹿児島市長選挙で初当選をはたした下鶴隆央氏(41)。約半数の票を得て乱戦を制した下鶴氏は、戦後の鹿児島市長および県内現職首長として最年少。3期務めた県議としての実績や若さのほか、政策のわかりやすさに加えて提示したビジョンの明確さでも市民を惹きつけた。「外貨を稼ぎ、税収を確保するのは手段。目的は子どもたちの未来を守ること」―強い使命感に裏打ちされた市政方針を聞いた。
くまモンを生んだ「PRしないと生き残れない」危機感
――いわゆるトリクルダウン、観光産業をトップに置いてそこからお金を落としていくイメージですね。そうなると、セールスマンとして市長の顔(アピール度)も重要になります。マスメディアよりSNSを用いた市民発信型のほうが拡散される時代でもあり、PR戦略が必要ですね。
下鶴 まず大前提として、広報戦略については効果測定を確実にやらなければなりません。ややもすると観光PR系の事業は効果測定が忘れがちになる。たとえばテレビのどこかの枠を買ってCMを流してそれで終わりと。本来であればプロモーションには目的があるはずで、たとえば新幹線が開通するから大阪に広告を出すということになれば、ゴールを設定したうえで大阪からの観光客が何人増えたのか、もしくは大阪圏内での認知度がどう高まったのかを見なければならない。何をやりたいかによって使う媒体も変わってきます。とくに観光におけるPR事業については効果測定をやる癖をつけていこうと思います。
――地方自治体のPR戦略では、お隣の熊本県に「くまモン」という近年稀にみる大ヒットがあります。昨年はくまモンデビューから10周年で、関連商品の売上高が年間約1,700億円にも上る県を挙げた巨大プロジェクトに成長しています。
下鶴 さすがに小山薫堂さん(※)はうまいなあと感心しますね。鹿児島は熊本よりも観光資源に恵まれている分、悪くいえばあぐらをかいてきた側面があったのかもしれません。
じつは、今熊本市長をされている大西一史さんが県議時代に一緒に勉強会をしたことがあるんですが、そのときに「くまモンはなぜヒットしたんですか」って聞くと、「危機感があったからだ」って即答されたんですね。くまモンが誕生したのはちょうど九州新幹線が全通したときで、熊本の観光業界関係者は「観光客が熊本を素通りして鹿児島に行ってしまう」という危機感をもったそうなんです。要するに、PRしないと生き残れないという危機感がくまモンを生んだ。危機感があったからこその大胆な発想と行動力だったんですね。このことが示唆するものは重要だと思います。
これから地域間競争が激化するなかでは、「いいところだからおいで」だけでは勝ち抜くことはできなくて、地域の魅力を正しく伝えることや、より響く層に向けて伝える努力が必要になります。だから、くまモンから学ぶべきは地域キャラクターの創出というよりも戦略的PRの重要性なのです。手法はいろいろとあると思うので、どんどん面白い企画を民間の力も借りて実現していきたいですね。私は年齢が若い分、そのあたりのアンテナは高いほうだと自覚していますし、私の行動原理は「面白いかどうか」ということですので(笑)。
※:小山薫堂氏(56)は熊本県出身の放送作家、脚本家。『料理の鉄人』や『電波少年』など主にテレビ業界で数々のヒット作を手掛け、くまモンをプロデュースした「生みの親」的存在でも知られる。 ^
子どもたちの未来を守るために
――市長選に挑むにあたって、100項目のマニフェストを出しました。少子化対策や地域振興策は当然ですが、SDGs(持続可能な開発目標)や同性パートナーシップに触れている部分では若さや革新性が感じられ、新しい鹿児島市をつくるという決意を感じました。マニフェストで実現したい鹿児島市とは?
下鶴 私が最終的な目標としているのは、子どもたちがどんな所得層や環境に生まれたとしても等しくチャンスをもてるまち・鹿児島なんです。この目標があるから私は政治家をやっているといってもいいくらい、この理念の実現に懸けています。今、とくに親の所得によって子どもたちが受けられる教育環境が限定されるという現実がありますが、その結果として就くことのできる仕事が限られて、格差が再生産される恐れが生まれています。これだけは阻止しなければなりません。
私自身はすごく良い教育を授けてもらったと感謝していますが、中学から大学まで進学してきたなかで周りを見渡しても小さな町工場の出身ってほとんどいなかったんです。私は今でも奨学金を返済していますし、あらゆる手を使って教育を受けさせてもらった。だから、そういうチャンスをいただいた人間としてそれを次の世代に返していく義務があると思っています。これは政治家としての背骨ともいえる部分で、どんな貧しい家に生まれても子どもたちのチャンスは等しくあるべきで、そのうえで自分がやりたいことで稼いでそれぞれが社会に貢献するのが理想です。
これは逆算的発想なのですが、そういう鹿児島を実現するために県議時代から産業振興策ばかりやってきたんです。なぜかというと、県や市にお金がないと公教育が危うくなってくるんですよ。公教育を支えるためには安定した税収が必要で、持続可能な教育のためには安定して税収が上がる仕組みが絶対に必要なんです。ひいては鹿児島の会社や個人が稼げる仕組みをつくらなければならない。そういう思いで県議時代から産業振興をしてきましたが、その根っこにあったのは教育の機会均等の実現でした。理想や理念だけ語っても財源の裏付けがないと実現しませんから、そこはリアリストとしてやってきた自負はあります。あとは持続可能性ですね。今が良ければいいっていうだけなら政治家って必要ないと思うんです。やはり未来の課題に対してしっかりと解決の道筋をつけること、これが政治家の務めですから。
(つづく)
【データ・マックス編集部】
下鶴 隆央(しもづる・たかお)
1980年4月4日生まれ。鹿児島市出身。私立ラ・サール中学校・高校を経て東京大学法学部卒。ITコンサルタント企業に勤務の後、2011年4月に鹿児島県議会議員当選(3期連続)。20年12月、4人が出馬した鹿児島市長選で約43%の票を得て当選。戦後の鹿児島市長および県内の現職首長として最年少。関連記事
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