東芝のキングメーカーになった永山治取締役会議長~迷走を続ける東芝の救世主となるか(中)
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東芝への唐突なファンドからの買収提案は、わずか1週間で社長退任劇に発展した。東芝の社長交代会見には、会長から社長に復帰した綱川智氏と取締役会議長・永山治氏が出席し、車谷暢昭氏は欠席した。事実上のクビである。市場関係者の視線は、車谷氏に引導を渡し、東芝の名実ともにキングメーカーとなった永山氏に注がれた。
永山氏は中外製薬がスイスのロシュ社傘下入りした立て役者
中外製薬の永山治会長は2020年3月下旬開催の定時株主総会で、取締役を退任し、名誉会長に退いた。その4カ月後、東芝の社外取締役に就いた。
永山氏は1947年4月生まれ。旧通商産業省(現・経済産業省)初代大臣官房長、元昭和シェル石油(現・出光興産)会長を務めた故・永山時雄氏の長男。慶應義塾大学商学部卒業後日本長期信用銀行(現・新生銀行)に入行。中外製薬の創業者、上野十蔵氏の孫娘、真佐子さんと結婚。78年に中外製薬に入社。創業家の娘婿として92年に45歳で社長に就任。以来、30年弱にわたり、中外の変革と成長を支えてきた。
永山氏の最大の仕事は、メガファーマ(巨大製薬会社)であるスイスのロシュ社の傘下入りを主導したことだ。2002年10月、中外製薬はロシュ社との戦略的提携契約に基づき、日本ロシュ(株)と合併、ロシュ社は中外の発行済み株式の59.9%を取得した。これにより、中外はロシュ・グループの一員となった。
しかし、一般的な合併にあるような社名・代表者の変更はなく、経営の独立性で保つことで合意された。加えて、ロシュ社は中外の東証一部における上場の維持に協力することで合意した。
資本は握られながらも、研究体制も上場も自主経営も維持するという、外資買収ではあり得ない特異ないビジネスモデルを貫いた。ロシュ社と交渉した永山氏は「当時は社内外で懐疑的な意見が支配的だった」と語っている。もっともなことだろう。しかし、そのような摩訶不思議なことが起きた。
資本をもつ企業が経営にタッチしない「中外モデル」
永山氏は後年、『日経産業新聞』(20年7月15日付)のインタビューで、資本を握られながらも、自主経営を維持する「中外モデル」を築いた話を語っている。なかなか味のある話だ。
最初にロシュと接触したのは1998年か99年ごろ。その他にも4、5社と話をしており、トップと雑談をして可能性を探った。当時のロシュCEOだったフランツ・フーマー氏とは互いの経営観や医薬品産業の環境、将来をどうみるかといったことについて、よく議論を交わしていた。
2000年8月ごろ、一般論を語りあっても仕方ないから、互いにアイデアを出しあおう、となった。私が大事に思う点を箇条書きでフーマー氏に渡し、フーマー氏がそこに付け加えるかたちで提携内容を作成した。
日本の経営は日本の企業が経験も厚いという話になり、自主経営の方向性が決まった。医療用医薬品を扱うロシュと中外を一緒にして、経営は中外製薬が担うかたちになった。これが世にいう『中外モデル』だ。いまだに同じようなものは出てきていない。私とフーマー氏の1対1の発想で出来上がり、他社のひな型にならないためだろう。
資本を持つ企業が経営をタッチしないのは不健全と指摘する人もいるだろう。そこで透明度を高め、ガバナンスを強化している。最も大事なのは業績で、これがどう管理するかが大切だ。
すごい話だ。資本を握られながら、自主経営を貫くことができるのだ、と舌を巻いた。自社がどの企業の傘下に入るのか、その大きな決断・交渉のへの入り口が「雑談」というところに深みがある。これは経営トップだけの話ではなく、プロジェクト単位の小規模チームにおいても当てはまる真理だろう。
トップ同士の信頼関係でM&Aに成功した経験を持つ永山氏にとって、退任を迫られた車谷氏がファンドと組んで買収を仕掛けてくるなど許せるものではない。買収提案書を叩きつけたというのも納得できる。
(つづく)
【森村 和男】
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