【コロナで明暗企業(6)】日本製鉄と日立製作所~企業城下町の栄枯盛衰(後)
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新型コロナウイルスの感染拡大は、全国の「企業城下町」の経済に深刻な打撃を与えた。企業城下町には大企業の工場に部品を納入する下請業者、孫請業者が幾重にも連なる。大手が工場を縮小・休止・閉鎖すれば、影響はそのまま地域全体に連鎖する。日本を代表する大企業である日本製鉄と日立製作所の企業城下町の栄枯盛衰をたどる。
日立金属の企業城下町、島根県安来市に広がる不安
日立金属の企業城下町は、島根県安来市である。市の人口は約3万8,000人。日立金属安来工場で約1,600人、協力企業などを含めると5,000人近く働く。
工場で生産する高級特殊鋼「ヤスキハガネ」は、鉄鋼にさまざまな金属や原料を混ぜ、用途に合う硬さや粘りを引き出した金属素材。世界中のカミソリ替え刃や自動車のエンジンピストリング、航空機・エネルギー関連など多様な部材に使われる。
地元紙の『山陰中央新報デジタル』(4月28日付)は、「日立」の名を冠した場所がある企業城下町で、同社が地元行事に協力するなど地域と深くかかわってきただけに、行く末を案じたと報じた。
工場前には「日立橋」という陸橋。橋を下った国道9号交差点には「日立坂下」の標識が掲げられ、城下町を物語る。米子市内の医療法人への譲渡にともない、名称変更したが、2020年春までは安来市に「日立記念病院」があった。
(中略)
日立金属は地域貢献事業として、山陰両県の中学生が集う「日立金属杯中学校親善スポーツ大会」を同市内で毎年開催。
「やすぎ刃物まつり」や「やすぎ月の輪まつり」など、地元を代表するイベントにも物心両面で協力してきたなか、関係者は日米ファンド連合への売却により、地域との関わりが代わるかどうか気をもむ。
当然、社名も変わる。安来市は、日立工場を中心に動いてきた。それだけにファンドへの売却による影響がどう出るかに不安が広がっているという。
日立市から「日立」のマークが消える
日立製作所のルーツは茨城県日立市にある。1910年、久原鉱業所日立鉱山付属の機械修理工場として創業した。創業者、小平浪平氏は海外製品に頼らず国産の電気機械をつくることに腐心し、同社は最初の製品である5馬力モーターを開発した。
日立市は、日立製作所の企業城下町である。地元紙、『茨城新聞』(2020年10月27日付)は、日立創業の地、日立市内から「日立」を示す文字やマークが減り続けている、と伝えた。
三菱重工業と日立製作所が火力発電事業を統合し、14年2月に三菱日立パワーシステムズ(MHPS)が誕生。同社は三菱重工に完全子会社化され、20年9月1日、「三菱パワー」に社名変更された。
同社日立工場は、日立時代に海岸工場と呼ばれ、工場群には日立の「亀の甲」のマークがあった。MHPS発足後、マークは「MH」に変更。今度は三菱パワーとなり、9月下旬から「スリーダイヤ」の看板に替わっている。
20年10月に日立化成が「昭和電工マテリアルズ」に社名変更。日立電鉄交通サービスは19年5月、経営統合で「茨城交通」となり、市内の路線バスから日立の文字が消えた。
日立製作所の企業城下町である日立市でも、「日立」のマークがどんどん消えている。市民から「寂しい」と声が漏れるのも無理はない。
企業城下町には大企業の工場に部品を納入する下請業者、孫請け業者が幾重にもつらなる。大手が生産を縮小すれは、影響はそのまま地域全体に連鎖する。工場周辺に従業員向けの小売店や飲食店などが軒を連ねる。影響は地域の消費にもおよぶ。高度経済成長時代、重厚長大企業の企業城下町が全国に誕生した。しかし、産業構造が変わり、全国の企業城下町では、日本製鉄や日立製作所の城下町と同じことが起きる。
(了)
【森村 和男】
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