2024年11月23日( 土 )

この国の政治行政はなぜこれほどにまで堕ちたのか?【IR福岡誘致開発特別連載(番外編)】

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日本上空 イメージ 現在の世界的な"コロナ感染再拡大問題"は、我が国の政治行政のコロナ対策が劣悪であることなどの諸問題を世界中に露呈させ、国内外にその根底にある問題を晒し続けているのではないか。

 しかし、当事者たちはそれに気付かず、各マスコミも表向きの批判はしても、正面から切り込むことができていない。関係者全員が何かを恐れて"忖度"してばかりいるようだ。国民についても、SNSにおいて匿名で批判するだけでは浅ましいと感じる。

 その筆頭が、安倍前首相と現在の菅政権およびそれを取り巻く忖度ばかりの政治家と官僚たちである。加えて野党の質問のレベルは前者以下であり、国民はそのレベルの低さに翻弄され続けている。さらに、日々の国会中継と各局のバラエティ番組のコメンテーターは、発言にリスクを背負っておらず、嘆かわしい限りである。筋が通っていないのではないか。それは海外の報道番組やドキュメンタリーなどと比べると一目瞭然だ。この調子では、世界第3位の経済大国といっても、10年後には大きく順位を下げるのではと懸念する。

家貧しくて孝子顕る

 しかし、日本にも過去、現在にわたって優れたグローバルな人材は存在する。2024年度からの新紙幣の肖像になる渋沢栄一氏、田中角栄氏、ソフトバンクの孫正義氏、橋下徹氏など、多くの"胆力のある人々"が過去にもいたし、現在もいる。

 彼らに共通していることは、”私心がなくリスクを恐れない胆力がある"点だ。世の中で先頭に立っている立場の人には必須である。多少のマスコミからの批判と世間からの中傷に対して鈍感な精神力も必要といえる。また、人の傷みがわかる"優しさ"も必須であろう。反対に、学業面では一見優秀だが経験値の低い人たちの多いこと。彼らは自身や組織の保全を優先し、人の傷みがわからず、決断力もない。

 「家貧しくて孝子顕る」という言葉は現在ではもはや聞きなれない死語となっているかもしれない。田中角栄氏や孫正義氏などは、幼少期を極めて貧乏な環境で過ごしたという共通する出自があり、彼らはそれゆえに胆力と優しさを持ち合わせているのだと思う。あるいは戦争、革命を経験した人たちも同様だ。しかし、この国の平和ボケと豊かさから生まれた"危機意識"のない戦後教育と経済成長の結果、優れたグローバルな人材が生まれにくくなったとすれば嘆かわしいかぎりだ。

 現在のこの環境は、我が国の戦後のツケが一度に回ってきたものといえる。各種給付金の申請手続きの複雑さ、ワクチン接種の予約、オリンピック、財務省「赤木ファイル」、政府と自治体との食い違いなど、枚挙にいとまがないが、これらすべての"根っ子"は同じ所から派生している。自己保全に組織保全のための忖度によるものだ。これは戦後、積もりに積もった病原菌である。

 公務員と民間との給与の格差は拡がるばかりだ。ANAは夏季賞与を支給しないことを組合に対して提示し、理解を求めている。経済が疲弊し、財政難に苦しむなか、政治家と公務員の幹部は"隗より始めよ"として、賞与を辞退するべきではないか。

 ある意味では、今回の世界的なコロナ感染再拡大問題は、この国の全身を蝕む病を治す絶好の機会になるかもしれない。

 ある著名な人物が「我々"団塊世代"のように、戦後の国民全体が貧乏な時期から高度経済成長を経験し、さらに我が国が崩れ堕ちる終末期まで一代で経験する世代は、他にはないだろう」との予測を披露していた。的を射た分析であると思うが、的中しないことを心から祈るのみである。

【青木 義彦】

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