2024年11月17日( 日 )

食品スーパー大手ライフコーポレーションの清水信次会長が現役引退~驚嘆!95歳まで現役の経営トップを貫いた超がつく「怪物経営者」(2)

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 大手スーパー「ライフ」を展開する(株)ライフコーポレーションの創業者、清水信次氏の現役引退が報じられた。(株)ダイエーの創業者の(故)中内功氏、(株)イトーヨーカ堂創業者で、(株)セブン&アイホールディングスの名誉会長・伊藤雅俊氏、ジャスコ創業者で、イオン(株)名誉会長・岡田卓也氏と同じ、日本に流通革命をもたらしたスーパーの第1世代だ。同世代の創業者が現役を退くなかで、清水氏は現役の経営者であり続けた。超がつく「怪物経営者」である。

不動産会社秀和の小林茂社長は清水氏の戦友

 清水氏が流通再編の主役に躍り出たことがある。バブルの最終局面の1988年から90年にかけてのことだ。不動産会社秀和(株)の小林茂氏は、相次いで流通株を大量に取得し、一躍、流通再編の目となった。秀和のビジネスパートナーとなったのが、ライフの清水氏である。

 清水氏と小林氏は第2次大戦末期、千葉の陸軍鉄道第二連隊のタコツボ隊の戦友である。タコツボ隊とは、九十九里浜に上陸してくる米軍戦車を想定して、あらかじめ穴を掘って待ち伏せ、敵が来ると戦車の下にもぐり爆破する部隊である。タコツボのなかから飛び出して、戦車の下に飛び込む玉砕訓練に明け暮れたという。陸軍版神風特攻隊の戦友である。

ロサンゼルス イメージ 小林氏は57年、秀和を設立。従業員わずか5名の不動産会社を旗揚げした。当時、秀和と同じ規模の不動産会社は、郊外の住宅地やリゾート地の別荘開発を手がけていたが、小林氏は都心の賃貸オフィスビルやマンション建設を貫いた。

 これがバブル期の地価高騰で、大資産家に大化けする要因となった。バブル期に、日本企業による「米国買い」の先鞭をつけたのは秀和である。86年にロサンゼルス最大のオフィスビルを買収したのを皮切りに、次々とビルを買収していく。すべて現金払いだった。

 気前のよい買い物によって、ビジネス界の有名人になった小林氏につけられた呼び名が“ショーグン”。当時、全米でヒットしていたテレビ映画『将軍 SHOGUN』に由来する。

 “ショーグン(将軍)”こと秀和のオーナー社長、小林氏は89年1月、ジョージ・ブッシュ大統領の就任式に招待された。その前日には、ロナルド・レーガン大統領が主催した最後の午餐会に小林氏は招かれた。

 小林氏は、新旧大統領の極めて重要な行事のどちらにも招待された、唯一の日本人であった。一介の不動産会社の社長が、レーガンとブッシュという2人の大統領から招待されたため、大きな話題となった。

 すべてはカネがらみである。小林氏は米国進出に際して、ロビーストの指示に従って、献金、寄付を積極的に行ってきた。その貢献ぶりが買われて、新旧大統領から招待される栄誉に浴したのである。

清水氏の「中堅スーパー大同団結」構想

 戦友の清水氏と小林氏は、戦後の一時期、音信不通だったが、たまたま仕事の関係で上京していた清水氏と小林氏が銀座でバッタリ再会した。清水氏が首都圏にスーパーを出してからは、「俺のマンションに来い」と小林氏に誘われ、小林氏と同じマンションで住んだほどの親友だ。

 ここから、「流通再編」の幕が上がった。ことの発端は、清水氏の持論である「中堅スーパー大同団結」構想だった。中堅スーパーは結束して集約しないと、安売り競争を続けていては生き残れない。ダイエー、イトーヨーカ堂、西友、ジャスコ、ニチイ、ユニーの大手スーパー6社に対抗するためには、中堅スーパーを糾合して年商1億円規模にしなければ、生き残れないというのが清水氏の持論だ。

 清水氏から「中堅スーパー大同団結」構想を聞いた小林氏は、この話に乗った。小林氏はマンションや賃貸ビル以外の分野として商業施設を考えていた。中核テナントは清水氏の1兆円スーパーだ。

 小林=清水連合軍による中堅スーパーM&A作戦が始まった。

(つづく)

【森村 和男】

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