2024年12月22日( 日 )

矢西建設の「蹉跌」~絶好調企業に何が起きているのか(2)

記事を保存する

保存した記事はマイページからいつでも閲覧いただけます。

印刷
お問い合わせ
法人情報へ

 特殊重機を数多く保有し、近年では大規模な太陽光発電事業の造成工事を多数受注して増収増益を続けてきた矢西建設(株)。コロナ禍に沈む業界にあって数少ない絶好調企業の1つとして知られていた。しかし今、同社に出入りする社員を見かけることはほとんどなく、さらに将来性についても「不穏な噂」が一定の信ぴょう性をもって流布されるようになっている。矢西建設に何が起きているのか? データ・マックスがつかんだ最新の情報をお届けする。

第1の異変~転々とする「代表」のイス

 矢西建設の歴史は1952年までさかのぼる。47年に発足した(社)九州道路技術運営会を母体に、52年12月に九州ブルドーザー工事(株)を設立、73年8月に現商号に変更して今に至る。2017年3月に持ち株会社「西川ホールディングス(株)」(以下、西川HD)を設立すると、矢西建設のほかに関連会社として矢西サービス(株)(14年設立/重機リース)と東亜商事(株)(20年3月設立/中古車輸出)を設立、さらに糸島市の中古車販売業「オートポイント福岡(株)」を子会社化して現体制を敷いた。西川HD代表の西川貞紀氏(71)によると、西川HD株式=100株のうち99株を長男の貞治氏が、残り1株の拒否権付株式(黄金株)を西川会長が所有しているという。

西川ホールディングス

 矢西建設の商号に使われている「矢西」の「矢」の文字は初代代表の矢田部正雄氏の姓から、「西」の文字は九州ブルドーザー工事が債務超過に陥った際に資本参加した西川家の姓からとったという。九州ブルドーザー時代から数えて3代目の代表に西川猛氏が就任し、1997年には4代目代表として、猛氏の息子の西川貞紀氏が就任した。その後、貞紀氏は業績を急伸させて同社“中興の祖”となる。

 貞紀氏は2014年7月に長男の貞治氏を代表取締役に就任させて17年2月まで2人代表制を敷くも、両者の間に確執が生じて裁判にまで発展する事態になったため貞治氏は代表を外れた。その後、貞紀氏は19年2月にプロパーの内田勝士氏にバトンタッチ、21年1月には同じくプロパーの山中和幸氏に代表が移り、さらに約半年後の6月には現任の新開勝氏が代表に就任している。19年2月から21年6月までの2年4カ月で3回も代表取締役が変更されるという目まぐるしさだ。

 19年9月20日には、貞紀氏が逮捕されるという刑事事件が起きた。逮捕容疑は強要罪で、博多区の施設に勤務する女性職員に対して拳銃のようなもの(のちにモデルガンと判明)を突き付け、施設に入れるように無理やり承諾させたという。貞紀氏が自ら「帝王学を授けていた」と語る長男との関係が悪化した17年ごろから、貞紀氏が代表を退いて刑事事件を起こした19年ごろまで―この時期が同社のターニングポイントだったとみる関係者は多い。

(つづく)

【特別取材班】


<COMPANY INFORMATION>
矢西建設株式会社

代 表:新開 勝
所在地:福岡市早良区原1-41-3
設 立:1952年12月
資本金:2,000万円
売上高:(20/5)67億1,021万円

(1)
(3)

関連記事