【菅独裁政権に学ぶ(4)】福田赳夫(元首相)氏を見習っては
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覚悟と使命感が違う
『評伝 福田赳夫』(五百旗頭真監修、岩波書店)を5日かけて読破した(約700ページ)。福田氏は、オイルショックで崩壊寸前だった日本経済を再建させ、1972年から1982年まで「絶好調の経済力」を蓄積させた。福田氏と現在の政治家たちでは「覚悟と使命感」がまるで違い、比較にならない。やはり政治家ですら歴史的・社会的背景によって鍛えられるものだと痛感した。
福田氏は1905年(明治38年)群馬県群馬郡金古町(現在・高崎市)で生まれ、東京帝国大学法学部に入学(1928年卒業)。福田氏がスガ親分と決定的に違う点は「郷土愛の強さ」と「郷土の為に」という使命感に燃えていることである。1930年~1932年までアメリカを視察、イギリス・フランス滞在期に政治形態を学んだ。本人の政党の信条=二大政党論はイギリスの国会に接して持論として固まったものである。
1941年5月から中華民国国民政府(汪兆銘政権)財政顧問として半年、赴任している。現在の中国政府に言わせれば『日本帝国の傀儡政権』である。生死の危険は希少であっただろうが、国家の存亡に携わることで「国家統治者に覚悟と使命感が欠けると国が滅びる」ことを痛感したであろう。やはり経験こそが己を強く鍛えるのである。そして不死身であると確信していた「日本天皇国家」が目前で一夜にして消えていったことが本人の脳裏に叩き込まれた。
民主主義国家の経済システムを構築する
日本の新たなスタート=民主主義国家の下の資本主義経済システム構築に奔走したのが、1950年大蔵省退官までのことである。主計局長まで上り詰めたところで昭電疑獄に巻き込まれ、休職・退官となった(もちろん無罪)。本人の人生における挫折期だったが、挫けることはなかった。退官後、2年で衆議院議員になった。1952年10月のことである。
大成する人は「老人時代」が短い。1990年1月までの37年3カ月の間、衆議院議員を務めあげたのである。群馬選挙区では中曽根康弘氏との戦いが続いたが、一度も落選せず現役を全うする。
一兵卒から政治家としてスタートしたが、岸信介から重宝され要職に抜擢される。そこで党務、政務の経験を積み上げていく。自らが先頭に立って経済政策を決定していったが、本人の人柄と能力を評価して官僚たちは献身的な動きをしてくれたようだ。何よりも経済政策を己で作成できることは強みである。それだけ要職・総理大臣に上り詰めるまでに時間をかけて研鑽を積んできたということだ。現在の「政治家育成ノウハウゼロ」といった悲惨な現実にレッドカードを突き付けたようなものである。
スガ親分!福田赳夫先輩の評伝を読んでみたら!
長年の宿敵として福田氏は田中角栄氏と戦ってきた。その影響もあって福田赳夫総理が誕生するのは1976年11月、71歳の時であった。総理の椅子には2年間座ったことになる。現在の堕落した政治家たちと偉大な福田赳夫氏を比較するのは先輩を愚弄することになる。スガ親分!大先輩の評伝をお読みになることをお薦めする。しかし、読破する気力と能力に欠けるかもしれない。
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