2024年12月24日( 火 )

【読者からの投稿】コロナ後の世界は?~考え方次第で大きな格差も

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 コロナ後の議論においても前提になっているのが、「世界はもう元の通りにはならない」ということです。その変化が良いものであれ、悪いものであれ、私たちは不可逆な変化の最中にあります。

 この変化をどのようにして乗り切っていくのか、私たちはこれから長い時間をかけて議論しなければならないわけです。

 この論点に対する考察をないがしろにしたまま、いたずらに短期的な対応策を積み重ねても、その結果として回復されるのは「過去の劣化コピー」でしかあり得ません。さまざまな人々が現在、「どのようにして日常性を回復するか」という論点で議論を重ねていますが、そもそも私たちは「過去の完全な回復」などを望んでいるのでしょうか。

 もはや「コロナ発生前」に戻すことは意味がありません。たとえば世界中で、否応なく在宅勤務を強いられた人々の多くが、再び「毎日オフィスに向かう」という、誰もが「当たり前だ」と考え、疑うことなく実行していたライフスタイルを回復させることに、非常にネガティブな反応を示すはずです。

 これは、私たちが「当たり前だ」と考え、疑うことなく実行していた習慣や行動には、実は何の必然性も合理性もなかったのだ、ということを示すわかりやすい例の1つといえます。

 もし、これまでの私たちの常識や習慣に何の必然性も合理性もなかったのだとすれば、そのような常識や習慣が充満していた日常を回復することには何の価値もないと思っています。

 そして、すでに多くの人は、この恐ろしい事実(前向きに捉えると自由)に気づいてしまっています。このような状態に至った世界を、単に「元に戻す」ことはもうできません。

 コロナ以前の世界が非の打ち所のないすばらしいものだったと考える人は世界に1人もいないはずです。そうであれば、私たちがいま考えなければならないのは、この事態を1つの「きっかけ」として捉えたとき、コロナ後の世界をこれまでの世界とは異なるものとしてどのように構築しうるのか、という問題のはずです。

 過去30年にわたって経済は全般に低調に推移しているのに「生活満足度」や「幸福度」は大きく改善しているという事実は、私たちに重大な洞察を与えてくれます。それは「経済をこれ以上成長させることに、もはや大きな意味はない」ということに直結します。

 「経済」と「幸福」に、もはや大きな関連はないという当たり前の結論に至ることになります。私たちは、長年にわたる経済的成長の末に、生存のための物質的基本条件の獲得という、人類が長いこと望んでいた夢を実現し、いまや大多数の人が「総じて幸福だ」といえる社会・・・になっています。

 要は、考え方次第で、大きな格差(勝ち組と負け組)が出てくると考えています。世の中、「使う人と使われる人」で、成り立っています。これが現実です。

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