【経営者事業魂の明暗(3)】梁山泊(博多)メンバーの現在地 トラストHD渡邉氏、代表辞任の背景(前)
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福岡で成功を収めた梁山泊(博多)のメンバーたち。今も経営者として辣腕を振るう者、悠々自適の日々を送る者、そして企業トップを辞任せざるを得なかった者も。30年前に野望を語り合った兵(つわもの)たちの現在地とは?
梁山泊(博多)の一角が崩れる
トラストホールデイングス(以下、トラスト社)の創業者渡邉靖司氏に注目していたのは「梁山泊(博多)」の一角を占めていたためである。この存在を強調していたのは先日、自己破産申請を行ったIであった。最近、新たに耳にしたのは「Iはただ山田氏の紹介で入ってきただけであり、中核メンバーではなかった」という事実。山田氏に関しては後述するとして、まずこの梁山泊を紹介する。
野望に燃えた事業集団
時は1990年初頭、58年~60年前後生まれで当時30歳前後の馬力溢れる連中が集まり将来の夢を語っていた。飲み会で「俺のビジネス人生を絶対に成功させてみせる」と豪語して盛りあがっていた。宴たけなわになると女性口説きの自慢話になるのが定番であった。皆おしなべてゴルフが上手で、負けん気を丸出しにして競争していたそうであり、怖いもの知らずであった。
筆者が企業調査マンとして関心をもったのは「90年当時に起業精神に燃えた連中が集団で競争していた」事実である。この梁山泊(博多)と目される集団に共通しているのは、先述の年齢(現在60~63歳前後)と高卒の学歴だ。このメンバーに共通した将来への見通しは「学歴社会においては己の力を信じ頼って這い上がるしかない」ということであった。未来への価値観が共有できるからこそ当時、同志的結合の絆が強かったのである。
博多・福岡の先進的な事業の先輩たちから学んだ
メンバーのお歴々が大成した業種は健康食品通販事業である。一時、福岡地区は健食通販の先進地域であった。梁山泊メンバーたちは当時、不動産・ネットワークビジネスのセールスマンなどをしていた。議論のなかで「我々はやはり後発であるから、新しい時代のビジネスに挑戦しないと勝負にならないであろう」という意見で一致した。総論で一致したものの、自力で個々に具体論を組み立てる能力はない。
ところが、福岡を基盤にしていたから成功していたといえるお手本となる先輩たちが目の前に存在しており、彼らに幸いした。お手本の筆頭はキューサイ(株)の創業者である長谷川常雄氏である。「まず~い、もう一杯!」の青汁で一世を風靡した。最終的にはM&Aで一族が約500億円を手中に収めたといえる。この大金を握りしめた光景を目のあたりにした梁山泊の面々は大いに発奮し、「俺も続くぞ!」と誓ったであろう。
誓っただけではなく、実際に長谷川氏が得た財産に迫るほど蓄積をした兵(つわもの)たちが現れた。それが山田英二郎氏であり井康彦氏である。お手本の見本としては(株)やずや創業者・矢頭宣男氏、(株)ヴァーナルの大田勝元代表氏が続く。矢頭氏は師匠長谷川氏から学び続けて大成した。また大田氏は好き放題に散財して悔いのない人生であった。先輩たちの功績の上に梁山泊メンバーの成功があるのだ。
(つづく)
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