上から目線の安倍政権、驕りと緩みが瓦解につながる
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NETIBでは、政治経済学者の植草一秀氏のブログ記事から一部を抜粋して紹介する。今回は、沖縄・辺野古海岸の米軍基地新設問題に関するキーワード「粛々と」から見える安倍政権の驕りと緩みについてについて触れた、4月9日付の記事を紹介する。
4月5日の、菅義偉官房長官と沖縄県翁長雄志知事との会談で、翁長氏が沖縄県民の強い思いを口にした。「上から目線の『粛々』という言葉を使えば使うほど、県民の心は離れて、怒りは増幅していくのではないか」
まさにその通りである。この核心を衝く言葉を受けて、菅義偉氏も、6日の記者会見で、
「上から目線と感じられるのであれば表現は変えるべきだろう。不快な思いを与えたということであれば使うべきではないだろう」と述べた。辺野古海岸を破壊して米軍基地を新設しようとしている安倍晋三政権は、民主主義の根幹をまるで理解していない。日米地位協定では、米国と日本国が合意すれば、米国が日本国内のどこでも、地元住民・地方自治体の意向にかかわらず、日本国土を米軍基地として提供させることに制限がない。しかし、この規定は、日本が独立国ではなく、米国の占領地、米国の植民地であることを示すものである。
日本が独立国であるなら、その基本法は憲法であり、憲法の原理に沿って政治を運営するのが独立国の政府の本来の行動である。ところが、安倍政権は憲法ではなく、日米地位協定の上に立って政治を運営している。
安倍晋三氏は4月8日の参議院予算委員会質疑で、松田公太議員が、辺野古に基地を設置するための法整備の必要性を問いただしたのに対し、
「すでにある法令にのっとって、これは粛々と進めているので、上乗せして法律を作る必要はない」
と答弁した。日米地位協定の規定を踏まえて、日米政府が辺野古海岸を破壊して米軍基地を新設することで合意したのだから、地元住民、地方自治体が反対しようと、米軍基地建設を強行することが合法措置なのだと言うのだろう。
だから、「粛々と」米軍基地建設を強行する考えなのだと強弁する。そして、基地建設を強行する拠り所が、仲井真前知事が出した「埋め立て承認」である。知事が「埋め立て承認」を出したことを「盾」に取って、米軍基地建設を強行している。しかし、この「埋め立て承認」そのものが、正統性のかけらもない代物なのである。
仲井真弘多氏は、知事選での県民との約束を踏みにじって「埋め立て承認」を出した。まさに「裏切りの知事」、「裏切りの埋め立て承認」なのだ。だからこそ、仲井真氏は病院に逃げ隠れしたり、沖縄に帰っても公邸に引きこもっていなければならなかったのだ。
民主主義=主権在民の基本は、「主権者の判断がすべての基準である」ということだ。
日米政府が合意しようと、沖縄県民、名護市民の同意がなければ、基地建設を強行してよいわけがない。このような、ものごとの根本、ものごとの本質を理解していない、あるいは、踏みにじるところに、安倍政治の危うさ、安倍政治の根本欠陥がある。
そして、安倍晋三氏の致命的な欠陥は、
「ものごとに対する真摯な姿勢」
「ものごとに対する謙虚な姿勢」がないことである。ぺらぺらぺらぺら、言葉をまくし立てれば良いというものではない。「巧言令色鮮し仁」である。
4月5日の菅-翁長会談の詳細を、安倍晋三氏は確認していないのだ。この会談の詳細を安倍氏が把握していれば、国会答弁で「米軍基地建設を粛々と進める」とは言わない。まさに上から目線で、この問題について、詳細を丹念に確認するという基礎作業さえ、安倍氏は怠っているのだろう。
この点を追及された安倍晋三氏は、9日の予算委員会で、
「政府として粛々という言葉を使っていたので答弁で使ったが、上から目線的な雰囲気があるのでやめてもらいたいということであれば、あえて私も使う必要はないと思う」
と述べた。歯車が完全にずれてしまっている。これを「政権の驕り」、「政権の緩み」という。こうした「驕り」と「緩み」が政権を瓦解させる重大な契機になるのである。
※つづきは4月9日のメルマガ版「植草一秀の『知られざる真実』」第1120号「安倍晋三氏「粛々と」発言が示す政権の深刻な緩み」で。
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