2024年12月24日( 火 )

池袋暴走事故判決にみる、大組織の無謬性神話【読者投稿】

記事を保存する

保存した記事はマイページからいつでも閲覧いただけます。

印刷
お問い合わせ

 NetIB-Newsでは、読者のご意見を積極的に紹介し、議論の場を提供していきたい。
 今回は、池袋暴走事故の判決にみる官僚組織などの無謬性神話に関するご意見を紹介する。

   日本の政府や大企業の官僚組織でほとんど無意識のうちに前提とされているのが、「無謬(むびゅう)性の原則」です。「ある政策を成功させる責任を負った当事者の組織は、その政策が失敗したときのことを考えたり議論したりしてはいけない」という信念です。

 「官僚(行政)の無謬性」と呼ばれる、我が国に根強く存在するものです。謬とは「誤り」という意味のため、無謬とは「誤りがない」ということです。我が国では、官僚・公務員・行政は間違いを起こさないということになっているのですね。

 官僚による政策はこれまで何十年にもわたって行われ、また将来を見据えた長期スパンで行われるものが多く存在しています。よってその影響も、数百万人、数千万人にもおよぶことが予想されます(年金など)。

 これだけ影響力が大きい政策を実行する官僚部隊には、万が一にでも間違いを犯してはいけないという強烈な圧力がかかるわけです。

 そうした「健全な圧力」があるだけなら、緊張感を保つ意味で望ましいものだったかもしれません。しかし我が国では、この強迫観念やプレッシャーが高じて「官僚は間違えてはいけない=官僚は間違えない」という恐ろしい発想に飛躍していくことになります。

 ひとたび間違いを認めてしまえば、自分たちのみならず、それを実行してきたすべての官僚が間違っていたことになり、歴史上、数千万人もの人に間違った政策を実行してきたことになります。必然的に、そんなことは絶対に認められないのでしょう!

 昨日の飯塚幸三被告(元・高級官僚)の交通事故での判決も、「罪は認めましょう!そして、遺族に謝罪しなさい!」という裁判長の言葉が発せられました。

 これと同じような裁判が、現在、「西鉄マンション強度不足事件」で起こっています。被告(西日本鉄道(株))は、犯した罪を認めず、我田引水で法を無視した論点ずらしに終始しています。9月13日に判決が下される予定です。

 判決となれば、これまで被告が設計した全物件(40年分)の再調査を、行政がしなければなりません。もっとも、行政が建築確認申請を認可したこともある点を考慮しなければなりません。

 金融機関も巻き込まれて、被害は直接・間接を問わず、相当数におよぶと考えられます。

関連キーワード

関連記事