ヤマダHD、創業者・山田会長が2度目の社長復帰~三嶋社長は1年で辞任、後継者問題はどうなる?(中)
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吃驚のニュースが飛び込んできた。報道各社が、家電量販店最大手(株)ヤマダホールディングスの創業者、山田昇会長の社長復帰を一斉に報じた。2013年にも業績不振を受けて社長に復帰。2度目の社長復帰となる。最大の課題である「後継者問題」はどうなる?
社長以下全取締役を降格させる荒療治
ヤマダホールディングス(HD)が誕生する前のヤマダ電機の頃、2期連続の減収減益となった反省を踏まえ、山田昇会長は5年ぶりに社長に復帰したことがある。
2013年6月27日に開催した定時株主総会と取締役会で、創業者の山田会長が社長に復帰し、すべての取締役の役職を1段階ずつ下げた。山田氏の甥である一宮忠男社長が副社長に退いたのをはじめ全取締役が降格となった。こんな荒業はサラリーマン社長ではできないとして、社長に復帰して陣頭指揮をとった。
家電エコポイント制度と地上デジタル放送移行にともなう需要の先食いの反動減により、売り場の主役だった薄型テレビやレコーダーなどの映像機器関連の販売不振が続き大幅な減益になった。
山田氏は全役員を降格させるショック療法でテコ入れを図った。売上規模拡大と安売り一辺倒の姿勢から利益重視の体質への転換を進めてきた。
山田流の再生術が成果を挙げた。一時的な閉店を含め、不採算の57店舗を閉鎖する一方、アウトレット店の拡大など店舗改革を実施した。
その結果、16年3月期の営業利益は前期比2.9倍の581億円、純利益は3.2倍の303億円に回復した。業績回復にメドがついたと判断。2度目の社長禅譲を決意した。
「息子は社長の器にあらず」と引導を渡す
山田氏は“脱オーナー経営”に舵を切った。16年4月1日、ヤマダ電機は「トロイカ体制」に移行した。創業者の山田社長兼CEO(最高経営責任者)が代表権のある会長に就き、桑野光正・常務総務本部長が社長に昇格した。甥の一宮忠男・副社長兼COO(最高執行責任者)は副会長兼CEOとなる。創業一族以外の社長就任は初めてだ。
桑野氏は、ヤマダ電機が02年に買収したディスカウントストア(株)ダイクマの出身。04年にヤマダ電機に入社以降、人事・総務畑で社員教育に従事してきた。同業他社でもほとんど知られていないノーマークの人物だ。「桑野WHO?」と首を傾げるほどの無名ぶりである。
『週刊東洋経済』(16年2月6日号)は、人事の内幕をこう報じた。
〈社長候補として社内外の関係者が注目していたのは、むしろ飯塚裕恭専務(51)のほうだった。POS(販売時点情報管理)を導入し、IT化を指揮するなど、辣腕ぶりで知られていたからだ。
しかも飯塚氏は、つなぎ役のショートリリーフとみられていた。その後は、山田社長の子息である山田傑(まさる)取締役(41)が社長に就くというのが、大方の見方だった。〉
傑氏は01年にヤマダ電機に入社。広報畑を歩き、昇進を重ね、12年に取締役に昇格。取締役兼上席執行役員広告プロモーション本部長に就いていた。
〈ところが山田社長は、傑氏の社長就任は、今回はもちろん、将来的にもないことを、1月21日の社長交代会見で断言したのである。
「息子は広告プロモーション本部長として、責任をもってやっている。それなりの人材であれば、登用することがあってもいいと思う」とした一方、「人それぞれの資質がある。私の息子の将来については将来的にも、代表者として、後継者として、その任にないかなと思っている」と語った。社長交代会見で、自身の子息が継ぐことはないと言及するのは、極めてまれだ。〉
創業者の父に引導を渡された傑氏は16年6月末、ひっそりと取締役を退任した。
(つづく)
【森村 和男】
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