不正会計から6年、東芝はやっぱり解体!~西室泰三と西田厚聰「東芝を潰したA級戦犯」(後)
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日本人は、不幸なことを連想させる言葉を他の言葉に置き換えることをお家芸とする。守備隊の撤退は「転進」と言い換えられ、全滅は「玉砕」と美化された。敗戦は「終戦」とごまかした。東芝はこの麗しき日本文化を踏襲した。「東芝は解体ではなく進化」だという。まことに物は言いようである。
西田の野望を潰した相談役・西室の嫉妬
東芝の歴代社長は、財界総理(経団連会長)の椅子に座ることを悲願とした。80年代以降、財界総理に縁がなかった東芝に久々に財界総理の座が近づいてきた。「テヘランからきた男」、会長・西田厚聰である。
経団連会長になるには、現役の社長か会長になることが必須条件だ。西田は2009年に東芝会長に就任しており、財界総理の最有力候補だった。
2010年に経団連会長がキヤノン(株)会長の御手洗冨士夫から住友化学(株)会長の米倉弘昌に代わった。しかし、御手洗が後任に据えたかったのは、経団連副会長で東芝会長の西田だったが、東芝のお家事情により後任になれなかった。
壁になったのが、西田の前任社長である岡村正だった。岡村は日本商工会議所会頭。経済三団体のトップ2人を同時に同じ企業出身者が占めた例はない。東芝が財界三団体の2つを占めることにトヨタ自動車など経団連長老から反対の声が挙がり、御手洗は西田の起用をあきらめたのだ。
西田が経団連会長に就くためには、岡村が会頭を辞めなければならない。会員制情報誌『FACTA』(2015年7月号)は、その内幕をこう書く。
〈西田経団連会長が幻となったのは、詰まるところ「西室さんの男の嫉妬。自分がなれなかった経団連会長に就くことを阻止したいという一念がそうさせた」と西田に近い経団連会長経験者は言う〉
相談役の西室泰三は「岡村さんが続投すべきだ」と激励した。西田が嫌いな岡村は会頭を退かず、西田の財界総理になる夢は幻と消えた。西田嫌いの岡村が、「西田の経団連会長就任を潰すために、商工会議所会頭に居座った」と『社長解任』は書く。
宮廷クーデターさながらの佐々木社長解任劇
東芝の混迷には固有の問題がある。背景にあったのは、社内の激しい派閥抗争と派閥の領袖たる歴代社長たちの人事抗争だ。財界総理にこだわり、社内抗争が激化した。
会長の西田厚聰と16代社長の佐々木則夫(2009年6月~13年6月)の確執が火を吹いたのは、2013年の社長交代だった。西田は会長に留任し、社長の佐々木は新設の副会長に追いやられた。2013年2月26日の社長交代の会見は異様なものだった。
西田は社長の条件として「さまざまな事業部門を経験していることと、グローバルな経験をもっている」ことを挙げ、「1つの事業しかやってこなかった人が東芝全体を見られるのか」と発言し、原子力畑一筋で、海外経験が少ない佐々木を公然と批判した。
「業績を回復し、成長軌道に乗せる役割は果した。ちゃんと数字を出しており、(赤字経営で引責辞任した西田に)文句をいわれる筋合いはない」と佐々木は反論した。会長と社長が互いを批判するような言葉を口にするのは異例だ。
公の場での会長と社長の悪口雑言も、前出の『社長解任』によると、財界総理の座をめぐるものだったという。御手洗の後任の経団連会長に就いたのは住友化学会長の米倉弘昌だった。米倉の経団連会長の任期は14年5月までである。西田は再び蠢動した。
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東芝・車谷社長が事実上のクビ、CVCと仕掛けた救済策が大炎上(1)経団連会長の野望を捨てていない西田は、東芝会長の肩書きを外すわけにはいかない。しかも、東芝社長の佐々木則夫が安倍晋三政権の経済再生の司令役を担う経済財政諮問会議のメンバーに抜擢されたのに続き、西田の後任として経団連副会長に就くことも決まった。財界活動は西田から佐々木に移り、佐々木に経団連会長の芽が出てきた。西田が我慢できるわけがなかった。それが、宮廷クーデターさながらの佐々木社長解任劇となった。
「東芝の闇将軍」として君臨した西室泰三
西室泰三は役職にこだわる性格で知られ、東芝内部では「東芝の闇将軍」、財界では「肩書コレクター」の異名をとった。東芝の相談役に退いてからは、(株)東京証券取引所会長兼社長、日本郵政(株)社長を歴任した。東芝ではウエスティングハウス・エレクトリック(WH)買収で巨額損失を出したように、日本郵政でも海外事業買収で巨額の損失を出した。
東芝の規律の乱れの最たるものが、日本郵政社長に転じた西室泰三がキングメーカーとして君臨していることだ。東芝本社ビル38階の役員フロアには社長、会長の執務室に加え、相談役の個室もあり、西室は週に一度はそこに足を運ぶ。西室が使うのは、かつて土光敏夫が使っていた由緒ある部屋だ。
社員から“スーパートップ”と呼ばれた西室泰三は2017年10月14日81歳で亡くなった。
歴代社長の確執が、東芝を解体に向かわせた根本原
その2カ月の17年12月8日、西田厚聰が73歳で没した。
児玉博は『テヘランきた男、西田厚聰と東芝壊滅』に、西田の死の直前に最後のインタビューを行い、「”戦犯”と呼ばれた男が全告白」を掲載した。
〈――東日本大震災、そして原発事故がなければ、東芝はどうなっていたんでしょうか。
「事故が起きなくても同じような問題が起きたんじゃないでしょうか。先延ばしされただけじゃないかな。すべては経営の問題だから」〉そう、権力闘争なのだ。西室泰三、岡村正、西田厚聰、佐々木則夫と歴代社長の意思疎通はうまくいっていなかった。トップのコミュニケーションの断絶に、経団連会長の椅子をめぐる暗闘が加わり、収拾がつかなくなった。
歴代社長の確執が、東芝の崩壊、解体に向かわせた根本原因である。「失敗の本質」は”人災”にほかならなかった。
(了)
【森村 和男】
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