政治への入口になってみせる それが「れいわ」の使命(3)
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山本 太郎(れいわ新撰組代表)
ゼロ議席もあり得るとの悲観的事前予測を超える3議席(実質的には4議席)を獲得した、山本太郎代表率いる「れいわ新選組」が再び、永田町に“旋風”を巻き起こす兆しが出てきた。総選挙で最後の1議席(近畿比例ブロック)に滑り込んだ“維新キラー”こと大石晃子衆院議員が、維新副代表の吉村洋文・大阪府知事に文通費(文書通信交通滞在費)問題で特大ブーメランを浴びせ、日曜討論でも「大阪は人口あたりのコロナ死者数は国内最大」と維新への批判を炸裂させるなど、議席4倍増で勢いづく維新の出鼻を挫(くじ)く斬り込み隊長役をはたしたのだ。
総選挙総括~野党第一党以上の存在感
──昨年の総選挙では、事前の予測を超える3議席を獲得、参院2議席と合わせて5議席となった。
山本 事前予測もいい加減なものですよね。「れいわはゼロ議席か1議席ぐらいだろう」と言われていましたが、蓋を開けたら3議席。非常に重い3議席で大きな成果ではあるけれども、決して大きすぎる成果ではないと思います。というのは、19年に旗揚げをした初めての参院選から少し票を減らしています。本来ならば5議席取れるだけのポテンシャルはあったということです。今回、候補者を立てるところのミスで比例東海ブロックでの1議席を逃してしまいました(註=重複立候補していた小選挙区での得票率不足)。でも、この2年間ほぼテレビでは扱われず、参議院予算委員会でも議席はなく、一般的にはほぼ露出なし、といったなかで大きな成果を上げたと思います。
──総選挙で山本代表は東京8区からの出馬を撤回して比例単独になりました。
山本 立憲民主党から「東京8区でどうか」という話は結構前からいただいていました。選挙直前になって立民支持者の方から大きな不満が出た。一言でいえば、立憲の根回し不足です。騒ぎが大きくなっても誰にもプラスにならない、一刻も早く引いた方がいいと判断しました。
──いわゆる「大人の対応」をしたと。政権交代をして消費税5%減税を実現しようという意気込みを感じ、誰が野党第一党の党首なのかと思ったほど。立民の評価が下がる一方でれいわへの支持はアップしたように見えた。
山本 「8区から出る」と言った後に「出ない」と言った3日くらいの間に、「もう山本は選挙に出ないのだな」と思われた方がいた。マイナスもあったのは事実だと思います。
──東京8区の出馬撤回をした後、立民側から「ほかの選挙区でどうか」という打診はあったのか。
山本 「ほかの選挙区で出たいところはないか」という問いかけはありました。「そちら側で『この選挙区がいいのではないか』という提案をいただければ」と答えて、いくつかの提案をいただきましたが、現実的ではなく、パスしました。
──都構想反対で大阪に張り付かれていた20年10月の囲み取材では「菅さんの選挙区(神奈川2区)から出ようか」と前向きな印象を受けた。やる気満々だったのに、なぜ野党陣営は“山本太郎カード”を切れなかったのか。山本代表が大物与党議員と対決する注目選挙区をつくることができれば、総選挙の結果も少しは違ったのでは。
山本 そういう「見世物」として面白い選挙区があった方が注目が集まり、投票率が上がるきっかけになったりするとも思います。「カードとして面白く、しかもワンチャンスあるかもしれない」という選挙区からの出馬は自分のなかでも燃えるものがあるし、それが(辞任する前の)菅総理の神奈川2区だったと思います。たしかに菅総理は評判が芳しくなかった。地元でも不満の空気が広がっていたので、「現職総理が議席を失う」という冗談みたいなことを現実にする可能性があったわけです。だから、菅さんが総理のまま選挙になるなら、神奈川2区から「ぜひ出させていただきたい」という話も東京8区と並行して進めていました。結局は「自民党はすごい」と思い知らされた。権力を手放さないためにトップの首を飛ばすのですから。何よりも権力にこだわる。ここは野党に最も欠けているところです。
──甘利明幹事長(当時)の神奈川13区から出る選択肢はあったのか。
山本 選択肢の1つとしてはありました。でも東京8区の出馬撤回の後の土壇場のなかで、それをやると神奈川13区も同じ現象が起こると考え、比例単独にしました。立民の太(栄志)さんが勝利されたことはすごいことです。
──立民の吉田(晴美)候補や共産党の池内さおり候補と共同街宣を行い、山本代表からは野党共闘への本気度が伝わってきたが、枝野さんは合同街宣をやることもなく本気度が不足していたという印象。
山本 最初からそういうかたちでやろうということではなかった。「野党共闘が失敗だった」という方がいますが、その失敗の大きな部分は、一緒に戦うという話し合いが(総選挙の)直前にならないと始まらなかったことです。もっと時間をかけてやっていくことが必要だったと思います。一番大きなチーム(立憲民主党)がリーダーシップを発揮してまとめていくことが必要だったのでしょうが、そういう方針ではなかった。それが衆院選に対する彼らの「戦術なのだろう」と思いましたが、その戦術がハマらなかったのでしょう。だから政権交代ができなかった。私は野党第一党党首ではなかったので、どういう考えでそうしたのかはわかりません。
(つづく)
【まとめ/ジャーナリスト 横田 一】
<プロフィール>
山本 太郎(やまもと・たろう)
1974年11月24日生まれ。兵庫県宝塚市出身。91年1月、私立箕面自由学園高校1年生時に『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』の「ダンス甲子園」に出場して芸能界入り、同年俳優デビュー。数々のヒットドラマや映画に出演。2001年度日本映画批評家大賞助演男優賞、03年度ブルーリボン賞助演男優賞を受賞。11年3月11日に発生した東日本大震災の後、4月より反原発活動を開始。13年7月、参議院議員選挙に東京選挙区より出馬し66万6,684票を得て当選。14年12月、政党「生活の党と山本太郎となかまたち」に合流し15年1月に共同代表。16年10月、政党名を「自由党」に改称、共同代表。18年11月、文教科学委員会、東日本大震災復興特別委員会、資源エネルギーに関する調査会に所属。19年4月、自由党と国民民主党の合流には加わらず「れいわ新選組」を旗あげ。19年7月、参議院議員選挙に比例区より出馬、99万2,267票を得るも落選。れいわ新選組の得票率が2%を超えたことから政党要件を満たした党代表となる。20年6月、都知事選挙にれいわ新選組公認で出馬、65万7,277票を得るも落選。21年10月、衆院選東京ブロックにれいわ新選組公認で出馬して当選。趣味はサーフィン。関連記事
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