2024年09月14日( 土 )

“古色蒼然”の新しい資本主義(前)

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政治経済学者 植草 一秀 氏

 安倍・菅政治が終焉して岸田文雄内閣が発足した。岸田氏は自民党総裁選を通じて新自由主義の見直しを提唱。第100代、101代内閣総理大臣に就任して「新しい資本主義」を掲げるが、日本経済の刷新が実現するのだろうか。バブル崩壊が始動して30年余の時間が経過した。日本だけが世界経済のなかでタイムカプセルに取り残された状態が続き、経済は坂道を転落し続けている。いま求められる政策対応は何か。岸田内閣の下でその実現は可能なのか。日本の課題を総括してみたい。

資本主義の見直し

政治経済学者 植草 一秀 氏
政治経済学者 植草 一秀 氏

 資本主義の見直しは20世紀のテーマだった。基本的人権の分野では18世紀的基本権としての自由権、19世紀的基本権の参政権、20世紀的基本権の生存権が掲げられてきた。経済学の父と呼ばれるアダム・スミスが『国富論』を著したのは1776年。米国で合衆国独立宣言が発せられたとき、日本では田沼意次が老中として君臨していた。英国ではこの時期に産業革命が勃興した。

 スミスが解明した市場原理が機能して経済活動が飛躍的に発展したが、その帰結として格差が拡大した。資本主義の発展と並行して民主主義制度が確立された。1776年の米独立宣言、1791年フランス憲法に人民主権が明記された。その後、19世紀になってようやく男子普通選挙制度が確立されたが女子の普通選挙制度確立は20世紀にまでずれ込んだ。日本で婦人参政権が確立されたのは第2次大戦後の1945年。

 資本主義の確立によって経済活動は飛躍的に拡大したが、制度の矛盾が露呈した。市場原理に基づく経済活動においては経済活動を管理・計画する者が不在であるため、所得格差、失業、恐慌などの諸問題が発生する。自由主義の経済運営が頂点に達したのが1920年代の米国。第一次世界大戦で欧州が荒廃するなかで、米国は兵器の生産・輸出によって大きな利益を獲得した。国土が戦場にならなかった米国は第一次大戦後、多くの技術革新を取り入れた大量生産・大量消費の経済構造を確立。世界一の工業国に発展した。

 その米国が1929年の株価暴落を契機に大恐慌に転落する。1980年代のバブル経済からバブル崩壊に移行した日本経済の先例として認識されている。F.Lアレンが著した『オンリー・イエスタディ』は空前の繁栄から恐慌に転落する米国の変化を立体的に描き出す古典傑作の1つ。20年代の教訓から資本主義制度の見直しが進展した。このなかで第二次大戦後に確立されたのが生存権である。日本国憲法にも第25条に明記された。この意味で「新しい資本主義」の概念はまったく新しいものではない。

修正資本主義から新自由主義へ

 資本主義に対する見直しは別のかたちでも表面化した。1919年にロシアで革命が勃発。ソビエト社会主義共和国連邦が樹立された。中国共産党が創設されたのは1921年のこと。2021年に中国共産党が創立100周年行事を開催したことは記憶に新しい。

 経済活動を市場原理に委ねれば格差が拡大する。技術革新が進展する資本主義社会においての生産活動は資本が巨大な資本を投下し、労働力を用いて行われるが、資本をもたない市民は労働力を提供して対価を得る以外に生きる道をもたない。持つ者ともたざる者の関係は不平等であり、資本は低廉な労働賃金によって超過利潤を獲得して資本蓄積を加速させる。

 しかしながら、所得分布の格差拡大は生産力と購買力の不均衡を拡大させて経済恐慌を引き起こす。搾取される労働者の不満は蓄積し、社会の不安定化がもたらされる。資本主義社会の弊害を取り除くための資本主義陣営の対応が修正資本主義の試みだった。

 経済運営のなかに「所得再分配」機能を取り込み、労働組合育成など労働者の権利を守る取り組みが本格化したのも第二次大戦後のこと。英国では社会福祉政策が拡充され「ゆりかごから墓場まで」の言葉が用いられるようになった。

 ところが、1970年代を通じて資本主義制度の修正を強化した欧米各国で経済活動の停滞が目立つようになった。逆に脚光を浴びたのが日本経済である。第二次大戦後の日本は世界経済の枠組みのなかで各種支援措置の恩恵を受けるとともに1ドル=360円という円安水準に為替レートが固定されたおかげで、相対的な賃金水準の低さから輸出産業が強い価格競争力を付与された。このために、奇跡の経済復興と呼ばれる経済発展を遂げた。

 その一方で、欧米主要国は高インフレ、低成長の構造的停滞にあえぐようになった。こうした状況を背景に、1980年代以降、経済政策運営の再自由化が急激な進展を見た。規制緩和、規制撤廃の方向への政策転換が推進された。日本においても規制撤廃、規制緩和の運動が強化された。

グローバリズムの台頭

 この環境下でさらに大きな影響を与えたのが冷戦終結だった。冷戦終結は、中国をはじめとする東側諸国が新たに世界経済の供給力に組み入れられることを意味した。低廉な労働コストを武器に東側新興国が世界経済の供給サイドに殴り込みをかけた。

 米国などの先進国は世界の大競争激化の下で根本的な経営改革を迫られた。企業はビジネスモデルを全面的に書き換えた。折しも情報処理・通信の分野で革新が進展した。企業はITを全面的に活用してビジネスモデルを再編。企業の労働コストの断層的削減を実現した。IT活用によるビジネスプロセス・リエンジニアリングはホワイトカラー労働者の激減をもたらした。高所得ホワイトカラー労働力が低所得オペレーターに置き換えられた。

 こうした企業行動変化によって企業利益は飛躍的に回復した一方、多くの賃金労働者が没落した。同時に収益力を高めた大資本はグローバルに国境を越えて利益極大化のための活動を活発化させてきた。世界市場を統合し、企業利益の極大化を目指す。メディアと学術専門家を支配下に置き、政治に影響力を発揮して国家の政策を誘導する。飽くなき利益極大化を目指す「グローバリズム」が世界経済活動の主役に躍り出たのである。

 小泉純一郎政権時代に日本政府を支配した日本政府に対する「年次改革要望書」、TPP(環太平洋経済連携協定)への日本組み込みなどは、グローバリズムによる政策活動の象徴的事例である。

 こうしたグローバリズム政策活動に従順に従ってきたのが2001年以降の日本を支配した清和会政治である。自民党内には岸信介、福田赳夫を源流とする清和政策研究会と池田勇人、大平正芳を源流とする宏池会ならびに田中角栄を源流とする平成研究会の2つの主流勢力が存在する。清和会が新自由主義経済政策の牙城であるのに対して、宏池会、平成研は福祉国家追求の側面をもつ。

 01年に小泉純一郎氏が首相に就任して以来、日本の経済政策運営は新自由主義=グローバリズム主導運営に急転回を遂げた。安倍晋三内閣はその焼き直し、バージョンアップ内閣であり、菅義偉氏もこの潮流を完全に継承するものだった。

(つづく)


<プロフィール>
植草 一秀
(うえくさ かずひで)
1960年、東京都生まれ。東京大学経済学部卒。大蔵事務官、京都大学助教授、米スタンフォード大学フーバー研究所客員フェロー、野村総合研究所主席エコノミスト、早稲田大学大学院教授などを経て、現在、スリーネーションズリサーチ(株)=TRI代表取締役。金融市場の最前線でエコノミストとして活躍後、金融論・経済政策論および政治経済学の研究に移行。現在は会員制のTRIレポート『金利・為替・株価特報』を発行し、内外政治経済金融市場分析を提示。予測精度の高さで高い評価を得ている。また、政治ブログおよびメルマガ「植草一秀の『知られざる真実』」で多数の読者を獲得している。

(後)

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