2024年09月06日( 金 )

【経営教訓小説・邪心の世界(3)】現世の地獄(前)

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<主要登場人物>
甲斐(創業者)
戸高(2代目社長)
日向睦美(創業者の娘)
日向崇(睦美の夫)
<作>
青木 義彦

※なお、これはフィクションである。

 杉が経営する会社の倒産を目の当たりにし、甲斐は嫌な予感がした。「次は俺の番かな」という恐怖が湧いてきたのだ。2000年に入り、受注環境が日増しに厳しくなってきたことが身に染みた。世間は建設業界に対し、「談合で税金を食い物にしている社会悪」と烙印を押した。甲斐は「儲けが出る受注にお目にかかれないものか」と思いをめぐらせながら、眠れぬ日々を送った。

 杉だけではなかった。残りのライオンズクラブの同志たちも岐路に立たされた。田原は廃業し、島田は会社を手放したのだ。ライオンズマンとして尊敬する宅間氏は、最愛の妻に先立たれたことが影響したのか、あっけなくこの世を去った。

 ライオンズクラブの仲間たちが次々と直面した会社経営の非情さに立ち会って、甲斐は強烈な無常観に襲われた。宅間の閑散とした葬儀場に立ちすくみ、「ガバナー経験者の葬儀とはこんなに孤独で憐れなものなのか」と怒りで震えが止まらなかった。

 仲間の憐れな末路に携わってきたが、ついに甲斐自身にも不幸が襲いかかり始めた。再婚した妻の体調に異変が表れ出したのは2000年に入った頃。毎日朝食を用意してくれていた妻が、起き上がれない状態になったのである。「お父さん、ごめん。どうしても体が重くて起きられない」と涙ぐむ。「これは尋常ではないな」と甲斐は察知した。

 娘の睦美からこっそり妻の動向を聞いた。娘は淡々と「母は体重が極端に落ちていることを気にしています。ここ1年間で7kg痩せて、42kgにまで落ちたことを怖がっている状態です」と打ち明けた。甲斐は「しまった!もう遅いかな」と心のなかで叫んだ。

 すぐに大学病院で徹底的に検査してもらった。検査結果は「子宮がんから2カ所に転移しているステージ3」。この医師の通告を妻も冷静に聞いていた。甲斐は「本当に芯の強いやつだなあ」と感服した。しかし、甲斐は医者から「このがんは転移のスピードが速い。残された期間は1年でしょう」と余命宣告を受けていたため、気が気でならなかった。

 医者の見立てはほぼ正確で、妻は02年に亡くなった。「すまんかったね。一度も晴れ舞台に立たせることができなかった。苦労ばかりさせてしまった」と号泣した。再婚した妻は生前、心のなかで「会社経営者と縁があり再婚できた。睦美の将来にも道が開かれた」と喜んでいたことであろう。ところが、甲斐はその後、養女にした睦美を不安のドン底へと追い込んでしまう。

 2000年に入ってからは、会社の業績は赤字が当たり前となっていた。厳しい環境のなかで経営者に降りかかるプレッシャーは、甲斐の精神と肉体を蝕んだ。妻ががんになり、死去したショックも相当なものであった。甲斐自身が己の体調異変に気付いたのは2000年代の半ばだった。

(つづく)

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