2024年11月28日( 木 )

【権力者は黄昏を悟れ(2)】政治家家業を永続化するのは“無理筋”

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安倍家には自慢するほどの資産はない

安倍元首相    故・晋三氏は憂国の士として人々の記憶により鮮明に残るかたちで亡くなられた。別項で詳細を述べるが、あと1年でも存命していたら憎しみの風を真っ向から浴びることになる。アベノミクス経済政策の破綻が露わになるからである。超インフレが襲ってきて、日々の食糧に困る国民たちが大量に発生するようになる。「安倍よ!我々を餓死させるのか」という最悪のシナリオが待ち構えていたであろう。

 故人はあまり安倍家を自慢したがらない。祖父の安倍寛(かん)氏のことを話すケースも珍しい。自慢は祖父である岸のことばかり。寛氏は東京帝国大学法学部卒、戦前は東京で自転車取扱店の事業を起こす。事業の失敗があったが、山口県に帰り、衆議院に当選し国政に出る。1946年に没する。政治信条は民主的立場を取り、当時の軍部からにらまれていた。政治的同志は三木武夫(バルカン政治家)などであった。強力な政治スポンサーがいなかったため経済面で安倍家は苦しかった。

あるのは晋太郎氏の「奮闘資産」なり

 故人が「俺はボンボン育ち、家柄が良くて首相になれた」と自慢するのは筋違い。父・安倍晋太郎氏の孤軍奮闘を抜きには考えられない。晋太郎氏は父の政治基盤を引き継ぐには合間が長すぎたため、自力で応援団を形成していった(父・寛氏が亡くなった46年から12年が経過した58年に衆院選に立候補)。24年生まれの晋太郎氏もまた東京大学法学部卒、毎日新聞入社。晋太郎氏は岸信介氏の娘と結婚。ここで晋三氏にとって初めて「岸信介は私の祖父」という関係性を得ることになった。

 晋太郎氏は58年に国会議員に挑戦して当選する。63年に一度落選して政界の厳しい現実に直面する。4年後の67年に再度当選して亡くなる91年までに、通算11期代議士を務めることになる。辛酸を舐めて以降、同氏は政治家としての磨きがかかり始めた。75年以降、福田派において頭角を現す。党務では幹事長に就き、内閣では官房長官を経験する。政府では4年間、外務大臣のポストに座る。加えて通商産業大臣もこなす。前回の登場者・私設秘書であった美祢氏は、「安倍先生の時が一番、仕事に奔走させられた。青春時代の最高の充実期間であった」と感慨深い顔になる。

 86年には派閥(福田派を継承)の長となった。いよいよ自民党総裁、日本国家の最高権力のポストである総理大臣を狙うポジションに就いたのである。ところが、体調を崩して91年に急逝したのだ。「悲劇のプリンス」と呼ばれていた通りの結末となった。そこから故・晋三氏の政治活動の幕開きである。長年、父・晋太郎氏の秘書役をこなしてきた。仮に父の総理大臣就任が実現しておれば、晋三首相という可能性はなかった。

さぁ、誰が後継者か!

 政治一家としての安倍家は3代であるが、祖父・寛氏と晋太郎氏とは別々の孤軍奮闘の努力で政治ポスト=代議士をつかんだ。晋三氏は安倍家では実質2代目の政治家である。次の後継者が実質3代目となる。誰がなるのか。その前に岸・佐藤家の一党を検証しよう。

 岸氏は佐藤家へ養子にいった。岸・佐藤両兄弟は頭脳明晰の塊である。2人とも東京帝国大学法学部卒だ。佐藤家の子どもには東大卒がいる。本当に優秀な血筋であることは誰もが認める。だが、佐藤栄作氏の家族は1人が政治家を継いだものの、不向きで途中で辞めた(佐藤家は政治一家として2代で絶える)。

 岸家の場合は、岸信介氏の娘が嫁いだ先の安倍家から養子をもらった。要するに孫を養子にしたのである(晋三氏の弟)。現在、防衛大臣職に就いているが、体調不良(癌)でとても激務をこなすのは無理。次の内閣改造では大臣ポストを外されるものとみられる。さらに「次期総選挙が開催されたならば、岸大臣は立候補しないとみられる」とささやかれている。そうなると、岸家も政治家一家として2代目で途切れることになる。

 11月には補欠選挙が行われる。葬儀を終えると「晋三氏の後釜は誰か」と注目を浴びることになる。9日、美祢氏は拝み屋さんに「誰が立つか?奥さんの昭恵さんが立つか?」と問いかけた。「いや、昭恵さんが立つことは絶対にないな。天真爛漫な方であるからな。うーん、難しい!一族から立つ気配が薄い。薄いということは揉めることになる」と答えに詰まったようだ。

 一説では、晋三氏の兄貴(長男)寛信氏の子どもが出馬する説も流れ始めたという。「もう止めてくれ!」と言いたい。岸信介氏から見ればひ孫(4代目)にあたる。まったく山口県との縁は皆無(東京育ち)。山口県民も馬鹿ではないから、そのような選択肢を取らないと信じたい。ここは現下関市長・前田晋太郎氏の出馬が賢明ではなかろうか!前田氏は故・晋三氏を秘書として支えていた。晋太郎の名前は安倍晋太郎氏から譲られた。 

 晋太郎!あなたが蛮勇を奮って立ちなさい!

(つづく)

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