2024年12月22日( 日 )

ソフトバンク孫氏、「家康」引き合いに反省の弁 投資担当が大量離脱(後)

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 投資会社ソフトバンクグループ(株)(SBG)の2022年4~6月期決算(国際会計基準)は、純損益が3兆1,627億円の赤字となった。同社の四半期決算では過去最大の赤字で、国内の上場会社としても過去最大規模だ。人員削減やグループ企業の売却など大リストラに乗り出す。SBGは浮上できるか?

孫氏が大抜擢した若手も去った

 ミスラ氏が立ち上げるファンドにアクシェイ・ナヘタ氏が合流するという。これには驚いた。アナリストたちが、孫氏の後継者として注目したのが、旧ドイツ銀行出身で40歳そこそこのナヘタ氏だったからだ。インド・ムンバイ出身、米マサチューセッツ工科大学で電子工学とコンピューターサイエンスの修士号を取得、ドイツ銀行に在籍。17年SBGに転じ、孫氏の投資戦略アドバイザーとなった。

 「AI革命を支援する投資会社なのに、上場会社は(投資の)対象外だなんて、誰が決めたんだと。私は上場しようがしていまいが、活躍する会社に投資していく」。

 SBGの孫正義会長兼社長は2020年11月、そう宣言して、上場株に2兆円を超す資金を投じたことを明らかにした。上場株の投資運用子会社は「SBノーススター」。SBGが67%、孫氏が33%を出資。アラブ首長国連邦のアブダビを拠点に、ナヘタ氏が最高経営責任者(CEO)を務める。

 ノーススターは、米ハイテク株のデリバティブ(金融派生商品)で大口ポジションを抱える「ナスダックのクジラ」と呼ばれた。だが、上場株投資は失敗だった。

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 米ブルームバーグ通信(21年11月8日付)は、SBGの孫氏が、上場株投資運用子会社のSBIノーススターへの孫氏自身の出資分の損失が1,500億円になっていることを明らかにしたと報じた。孫氏は、SBノースターによる投資は「ほぼ手じまいに近い」と述べたという。孫氏は上場株投資の運用責任者に若手のナヘタ氏を大抜擢したが、大失敗で終わる。ナヘタ氏は去った。

3人の後継者が辞める

 孫氏は17年に始めたビジョン・ファンドを軸とした投資活動に集中し、SBGは携帯電話会社から投資会社に変貌していく。孫氏は自らを「冒険投資家」と宣言した。

 SBGは18年に、3人を副社長にした。主力の新興企業向け投資ファンド担当のラジーブ・ミスラ氏、海外事業統括・中南米向け投資ファンド担当のマルセロ・クラウレ氏、投資戦略統括の佐護勝紀氏。3人が後継レースを争うとみられていた。

 まず、佐護氏が昨年3月退任して脱落した。ゴールドマン・サックス証券とゆうちょ銀行でナンバー2を歴任し、18年にSBGに「鳴り物入り」で迎えられた。

 中東のオイルマネーを巻き込んで10兆円ファンドを組成したSBGは、投資会社化に邁進した。これらの投資方針は、14年にSBG入りした副社長のミスラ氏など旧ドイツ銀行出身者が主導。投資事業を統括するはずの副社長・佐護氏の出番がなくなった。

 副社長のクラウレ氏も事業家としての居場所がなくなり、SBGを去った(6月29~30日付NetIB-News参照)。ミスラ氏も今回、SVF2の責任者から退いた。

 なぜ、後継者と目された副社長と孫氏の間が緊張につながったのか。孫氏は資産運用子会社SBノーススターを設立。自身も3分1(33%)を出資したが、それはあくまでも孫氏個人が利益を得るためだ。孫氏はSVF2にも自ら出資しており、アナリストからは利益相反の可能性が指摘されていた。そうした個人的利益のための動きが、幹部らの大量退社をもたらした、と株式市場では見ている。

 SBGの投資部門を担ってきた経営幹部たちが、まるで泥船から逃げ出すように次々、辞めていっているのだ。

孫氏には今、軍師がいない

徳川家康の「しかみ像」
徳川家康の「しかみ像」

 家康の「しかみ像」を引き合いにして、反省の弁を繰り返した孫氏は、天下人の家康になれるか。家康は生涯ただ一度の手痛い敗戦を三方ヶ原で経験する。この戦いで、家康の譜代武将率いる三河武士は勇名を轟かせた。家康が「海道一の弓取り」と称されるようになったのは、この戦いからだと言われている。三河武士を掌握したことが、家康が天下人になれた一因だ。

 天下人になった秀吉には黒田官兵衛という軍師が、家康には本多正信という軍師がいた。だが、今の孫氏には官兵衛や正信のような軍師がいない。

 ITバブル崩壊後、孫氏は「昔から通信事業をやってみたかった」と言って、通信業者に転身した。このステージの軍師を務めたのが、笠井和彦氏である。

 笠井氏は銀行界では「為替の神様」といわれた。富士銀行(現・みずほ銀行)副頭取、安田信託銀行(現・みずほ信託銀行)会長を務めた。東大閥が幅をきかす取締役会で、香川大学出身の笠井氏は異色な存在だった。笠井氏が率いる為替ディーリング部隊が富士銀の利益の大半を稼いだこともあった。

 定年退職後の2000年、ソフトバンクの取締役に就任。「富士銀行の副頭取までやった人間がいく会社じゃない」。笠井氏の転職は、銀行界で物議をかもした。勝負師は勝負師を知るという。若き勝負師である孫氏に共鳴したのが、誘いを受け入れた理由といわれている。

 孫氏から三顧の礼で迎えられた笠井氏は「結果を出さないと社会から評価されない」として業績を重視。投資拡大路線に決別。ナスダック・ジャパンから手を引き、あおぞら銀行株を売却。ネットと通信に投資先を絞り込んだ。

 孫氏は2000年以降、04年の日本テレコム買収(3,400億円)、06年のボーダフォン日本法人買収(1兆7,500億円)、12年の米スプリント・ネクステル買収(1兆8,000億円)など、巨額買収を手がけた。笠井は、その軍師として「錬金術師」といわれる手腕を見せた。

 笠井氏は13年10月、76歳で死去。孫氏が人前で泣いたのは、この時だけ。孫氏は「冒険投資家」に変身する。株価に左右される投資を笠井氏ならどう見ただろうか。だが、「軍師 官兵衛」と称された笠井氏はいない。

 今の孫氏には軍師がいない。これが致命傷になりかねない。株高を求めて投資を拡大する孫氏は、「お山の大将われ1人」の果てに「裸の王様」になる恐れがある。孫氏にとって最大の危機だ。

(了)

【森村 和男】

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