2024年12月22日( 日 )

巨人稲盛和夫氏に学ぶ(6)~塾長の教えは私の人格の一部に

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(学)中村学園 顧問 中村 量一

 京セラを立ち上げ、第二電電創業者を経て日本航空を会長として陣頭指揮して再生させた実績、このような異業種にわたって1兆円を超える企業経営を果たした故人・稲盛和夫氏のような経営者は、日本にはもはや存在しない。「盛和塾」においては全国、全世界の経営者育成に貢献された。今回は、盛和塾福岡で代表世話人を務めた(学)中村学園の顧問(前理事長)・中村量一氏に、稲盛氏への追悼メッセージをいただいた。

(学)中村学園 顧問 中村 量一 氏
(学)中村学園
顧問 中村 量一 氏

    いつかはこのときが来るとは知りながら、稲盛和夫塾長の訃報に接したときは、改めて愕然といたしました。

 30年ほど前、JCの先輩である八頭司正典さんと故・柴山文夫さん((株)ラック・前社長)から誘われ、設立間もない盛和塾福岡に入会させていただきました。

 稲盛和夫氏は、バブル真っ盛りのころに京都の若手経営者の要望を受け、単なる経営理論ではなく、「人として、経営者としての心の在り様」を伝え教える盛和塾を始められました。そして9年後の1991年、バブルがはじけて日本経済が転換期を迎えるころ、これから先の厳しい時代を見据え、福岡をはじめ全国に盛和塾を展開されました。そのおかげで、真摯に盛和塾で学び、塾長の教えに導かれた多くの塾生は、バブル崩壊後の経済不況を乗り切ることができました。

約20年前に稲盛塾長と
約20年前に稲盛塾長と

    私自身も塾長から、「人としての生き方」「正しい経営の在り方」を学びました。加えて、この点がとくにほかの経営者とは違うところですが、塾長は哲学や宗教、さらに故事、故実に造詣が深く、「教育の在るべきかたち」について多くの示唆を受けました。

 塾生としては、決して優等生ではなかった私でしたが、それでも塾長の教えは間違いなく、私の人格の一部になっています。そして今日の中村学園が一定の評価を受けて存続しているのも、塾長との出会いがあったからです。

 深く深く感謝申し上げ、心からお悔やみ申し上げます。

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