2024年09月16日( 月 )

憲法第9条について考える(前)改憲論の根拠

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作家 金堀 豊

 以下の論は、安倍晋三元首相が提唱していた改憲問題と関連するものだが、問題の設定の仕方が根本的に異なる。安倍氏の論は、すでに存在する自衛隊の機能を変更することを、憲法上の記載を修正することで可能にしようというものであった。これに対して、私が議論しようとするのは、根本に立ち返って、そもそも憲法とは何で、憲法第9条は改正すべきものなのか、それを考えるものである。

日本国憲法 イメージ    本来なら、こうした議論は政治家レベルでなされねばならない。が、それがなされないのが今の日本の政治である。「日本遺族の会」顧問で福岡出身の古賀誠氏が、かつてこんなことを言っていた。「今は、同じ自民党内でも議論がなされなくなっている」と。元首相の安倍氏への「忖度」とは、議論を誘発しないどころか、むしろ議論を封じこめることを意味した。

 ここでは憲法第9条に関するさまざまな案を検討する。まずは「憲法を改正すべき」という案から。

 現行憲法は米国を中心とする戦勝国が敗戦国に押し付けたものゆえ、これを改正すべきだという意見がある。一理も二理もある、と思う。

 神戸在住のイスラエル人精神科医と懇意になったことがある。彼がある時こんなことを言った。「日本は軍隊をもてないなんて!フロイトのいう『去勢』ってやつですよ」。

 「去勢」とはきつい表現だったが、一国の軍隊を男性の攻撃性の象徴とすれば、軍隊をもたせないのはたしかに去勢である。私は苦しまぎれにこう答えた。

 「自衛隊というものがあります。ただし、この軍隊は朝鮮戦争のときにアメリカから要請されて設置されたもので、しかも武力行使ができません」。

 するとその精神科医、苦笑いしてこう言った。「つまり、去勢された後で、人為的に男根を移植され、しかもその男根が役に立たないというわけか」。露骨な言い方だったが、その通りだった。誰がみても、これは異常事態だった。

 元首相の安倍氏にはそのような発想はなかったことを確認しておきたい。彼の改憲論は、米国の要請に応えはしても、愛国者の願望に応えるものではなかった。一見愛国者に見えて、彼は日米安保体制の崇拝者に過ぎなかった。

 市谷の自衛隊駐屯地で自決した作家の三島由紀夫は、憲法9条を2つの理由で改正すべきだとしている。1つは、先の論にもあったように、現行憲法が戦勝国の押し付けだからというもので、もう1つは第9条が軍隊をもたないとしているのに、自衛隊があるのは論理の矛盾であり、そのような矛盾は国民の精神を害するからというものである。

 第一の理由についてはすでに検討したので、第二の理由について考えたい。憲法上の矛盾は、ほんとうに国民精神を害するのだろうか。

 この問いの答えは精神医学でいうダブルバインド理論が提供してくれる。ダブルバインド理論とは、親が子に矛盾した2つの命令を出すと、子が精神的に鬱状態になり、それが嵩じると統合失調症(=精神分裂)になるというものである。これを応用すると、三島が言いたかったのは、親の教えのようなものである憲法が矛盾していると、子である国民は統合失調症に陥るということになる。

 統合失調症を病む人は、不調を感じても自分が異常だとは思わない。仮に日本人がこの病を病んでいるとしても、だから、本人にはわからないだろう。だが、明瞭な動機もなく凶悪犯罪に至るケースが増えているのを見ると、今の日本に統合失調症を病む人が増加しているのではないか、と気になってくる。

 「平和ボケ」ということがいわれるが、要するに国民全体が不感症になっているということだ。あらゆる出来事に対する国民の反応が鈍くなっているのである。「人を殺してみるとどうなるか知りたかった」という理由で殺人を犯す少年少女が出現している。20世紀末に出た山下柚実の『五感喪失』は、そういう異常事態を指摘した本である。

 だが、その原因を、憲法上の矛盾だけで説明し切れるだろうか。三島が自決した1970年は大阪万博があった年で、日本が経済力を世界に誇ろうとしていた時である。彼の心には戦中派のいうに言われぬ矛盾した感覚が居座っており、であればこそ、憲法の矛盾を鋭く感じ得たのである。その気持ちをどれほど汲んでいたかはわからないが、同じ70年代の後半には、岸田秀が『ものぐさ精神分析』を世に問うて、近代日本の精神分裂を指摘している。岸田の分析は憲法ではなく、明治以降の西欧化政策に向けられており、無理な近代化が日本人を精神分裂状態に追い込んだと主張したのである。

 岸田の論を応用すると、日本人は明治以来、矛盾に慣れっこになっていることになる。であれば、憲法上の矛盾など感じないのも当然であろう。そうなると、自衛隊駐屯地で決起した三島の言動など馬耳東風となる。岸田には、三島には見えなかったことが見えていたように思える。

(つづく)

(中)

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