2024年11月24日( 日 )

「人がいない」企業と「企業がない」学生 採用環境の変化に必要なアップデートとは(前)

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 どの企業においても人材不足が叫ばれる今、新卒採用についてはさらに厳しい状況にある。「若者が来ない」と話す経営者が多い一方で「応募したいと思える企業がない」と学生は話す。人材を求める企業と応募する企業がないと思う学生たち。この乖離はどのようにして起こっているのか、検証したい。

若者人口の減少とともに新卒採用は困難に

学生 就職活動 イメージ    多くの経営者に経営の悩みを聞く際に必ず出てくるのが「若者がいない」という話だ。企業の業種によってそれは高卒を指すのか、大卒を指すのか。新卒か中途かという基準はバラバラではあるものの、18~29歳の男女を指しているということには変わりはないだろう。

 少子高齢社会となり、若年層の人数が単純に減ったことが第一の理由として挙げられるだろうが、それだけではない。日本は他国に比べ失業率の低い国であるが、それゆえに人材の流動性も低く、新天地を目指して動こうとする積極性があまりないという見方もできる。実際に、それなりに苦労した就職活動に戻りたくないという思いから、会社への不満を抱きながらも勤務を続けているという人もいる。

 また、初任給の引き上げがニュースになる昨今。一度上げたら下げにくいということから賃上げに踏み切る企業は多数派ではない。また、労働者においても獲得した「安定」を維持するため、雇用条件など労働環境について異論を唱えるものは少ない。つまり、「求職中の」若者がいないのだ。

 このように、現代日本において経営者が「若者がいない」と感じるのは当然のことであるが、「応募したいと思える企業がない」という学生の声もある。学生と企業が就活と採用活動において悩みが尽きないのは解決しうる問題なのか。

30年間は同じ流れで進んだ就活

 まずは、これまでの就職活動が時代とともにどのように変化してきたかを見てみる。

 1960年代は集団就職の時代。集団就職自体は戦前から行われているものではあるが、このころの就活生はとくに「金の卵」と呼ばれた。地方から都市部にやってきた中卒の若者が多く、工場などの単純かつ多大な労働力を必要とする企業での採用が行われた。

 80年代のバブル期は学生の青田買いとして、多くの企業で「囲いこみ」が見られた。交通費支給や昼食支給、なかには旅行に連れて行ったという話もあり、旅行については今では考えられないことだ。バブル崩壊とともにこの流れはなくなり、ご存知の通り、就職氷河期と呼ばれる時代に入る。この当時の就活を経験者に話を聞いてみると、みな焦りを見せていたという。

 90年に入ると、就活の主な流れは現在のものとほとんど変わらなくなった。このころから、紙の情報誌や大学内に貼られた求人掲示板を確認し、求人情報が多数掲載されたそれらを見て、気になる企業を選び、履歴書を送るという流れになった。2020年代の就活生がマイナビやリクナビに登録し、アプリで企業を条件検索し、説明会や選考への応募をしているのを見ると、媒体こそ変わったものの「情報取得→申し込み→面接」という流れは一緒だ。このように、基本の動きは変わらない一方で、新しい波も訪れつつある。

 従来、採用ページを自社HP内に設けたり、リクナビ・マイナビといった求人サイトにページを置いたりと、採用活動において企業は基本的に「待ち」の姿勢になる。しかし、優秀な人材はどんどん売れてしまう。そうなる前にいち早くより確実に人材を獲得するため、企業側が自社とマッチすると思う学生に直接声かけを行うことができるサービスがリリースされた。これがスカウト型だ。社会人1年目の新卒(22卒)に話を聞くと「dodaキャンパス」「Offer Box」「キミスカ」の3つが大手として挙がった。大学時代、学内の先輩から「とりあえず入れておけ」と言われ、登録を行ったという。

 これらのスカウト型の仕組みは(1)学生がサイトに登録。これまでの経験やスキル、大学での専攻分野、ガクチカ(※1)、自己PRを記入する。(2)それらを見た企業側は採用したいと思う人材に直接オファーをかけ、説明会や実際の選考フローへの招待を行うことができる、という流れだ。

学生 就職活動 イメージ    また、現在大学4年生(23卒)で不動産企業に内定している女性は行政によるサービスを利用したという。彼女はもともと、大学の先輩から就活エージェントを紹介され、登録を行った。しかし、企業紹介以外にも「大学生の友達を紹介してほしい」などという営業的な連絡が多かったことにうんざりし、途中で退会。マイナビの開催する合同説明会にも参加したが、印象に残るのは大手ばかりだった。

 それらも決定打に欠け、内定が決まらないまま就活を続けるなかで、今年2月ごろに「北九州市U・Iターン応援オフィス」に登録した。これは地元への人材の還流を促進するために設けたU・Iターン向けの常設窓口で、転職希望の人材だけでなく、新卒者へのフォローも行っている。

 北九州市出身であることもあって登録を行い、企業からの「スカウト」を受け、選考へ進み、無事に内定を獲得した。実は彼女は内定先のことをまったく知らず、このスカウトがなければ応募するつもりはなかったという。大手企業特有の空気感を恐れていたこともあり、中小企業希望かつ地元志向だったことがこの会社に就職を決めた理由となった。

 就活のスピード感が最も早い東京では、3年生の12月ごろに内定通知を出す企業もある。関西エリアの企業であれば3年生の3月に一次面接が始まっており、いずれも福岡の企業よりもスタートが早い。また、福岡においても、インターン生へ実質的な内定を3年生の早い段階で出すということも見られ、気が付けば優秀な人材は狩りつくされている。「待ち」の姿勢のままの中小企業が「優秀な人材」にたどり着くのは難しい。

※1:「学生時代に力を入れたこと」を略した言葉 ^

(つづく)

【杉町 彩紗】

(後)

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