2024年12月22日( 日 )

「餃子の王将」社長射殺事件に急展開 黒幕に迫れるか(後)

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 中華料理チェーン「餃子の王将」を展開する王将フードサービスの社長だった大東(おおひがし)隆行さん(当時72)が2013年12月、京都市山科区の本社前で射殺された事件は、一時は迷宮入りが囁かれていたが、ヒットマンが逮捕された。指示されたとされる黒幕に捜査の手が伸びるかが最大の焦点だ。

「週刊新潮」で黒幕が疑われた昌也氏が告白

 『週刊新潮』(2016年9月22日号)は、「『餃子の王将』社長殺人の黒幕と疑われた『美空ひばり』最後の後見人の告白」を掲載。上杉昌也氏による第三者委「調査報告書」に対する反論を載せている。

 王将の創業者である加藤朝雄さんと知り合ったのは1977年ごろ。私は福岡の実家から勘当されていました。若気の至りでバクチにのめり込み、借金まみれで親族にも迷惑をかけたからです。兄(上杉佐一郎)からも激しく叱責され、福岡を離れて、京都で通信機の事業を始めていました。

 79年6月に私の母が亡くなるのですが、その3カ月前に兄が方々探し回ったすえ、“君のお母さんが危篤だ。すぐ帰ってこい”と私の会社に現れました。

 それから、京都と福岡を行ったり来たりするようになるのですが、兄が、私が京都でお世話になった方々をゴルフ場に招待し、『この昌也は、私の弟です。よろしくお願いします』と、お披露目の場をもうけてくれた。そこには、朝雄さんもいました。それ以降、朝雄さんは私に急接近するようになった。

 「王将」と暴力団とのトラブルには何度か力を貸した。京都という土地柄、飲食店を展開するには暴力団とのトラブルが付きもので、それらの解決を手助けしたのは事実という。

福岡センチュリーゴルフクラブで「王将」から50億円の融資

 「王将」とのトラブルは、昌也氏が「王将」から50億円融資を受けたことが発端になった。舞台は福岡センチュリーゴルフクラブだ。

 私が福岡でゴルフ場をオープンしてからしばらく経ち、95年に住専問題が起こりました。私の経営する会社も、住専の大口融資先でした。そのため、中坊公平弁護士率いる住管機構から債権回収のターゲットにされた。98年4月13日から3日間、住管機構の職員約200人か大挙して押しかけて、特別調査を受けました。挙げ句、その月の27日までに50億円の返済を要求された。猶予はわずか2週間しかなく、私はギブアップする覚悟を決めました。

 たまたま、朝雄さんの次男で、「王将」の財務担当の専務だった欣吾さんに、『もう、お手上げですよ』と、電話で愚痴をこぼした。当時、社長は長男の潔さんでした。

 すると、2日後、欣吾さんから『それくらいだったら、うちでなんとかします』と、50億円を用立ててくれたのです。まさしく、地獄に仏とはこのことでした。

融資の返済をめぐり「王将」とトラブルに

 二人三脚できた昌也氏と「王将」が決裂するようになる。昌也氏はこう語っている。

 その50億円で、住管機構との和解が成立すると、福岡の本社ビルを担保に銀行から借金をしたり、もっていた土地を売却したりして、40億円を調達し、「王将」に返済しました。

 それでも、いまだ10億円の債務が残っていましたが、再建が軌道に乗るまでの運転資金として、追加で3億円とか5億円を借り、それを返して、再び借りたりということを繰り返していました。ところが、そのうち借金を返しても、「王将」が物件を担保から外してくれず、トラブルになりました。

 そのころ、わざわざ欣吾さんが京都から福岡の会社まできて、私の留守中に『社長の了解は得ているから』と従業員にウソをつき、怪しげな書類にうちの社判をつかせるようなことも何度かあった。

 そして、最終的に、私の債務額でかなりの食い違いが出てくるのです。

 第三者委の「調査報告書」は、A(昌也氏)に約260億円の資金が流出し、約170億円が未回収と公表しているが、昌也氏は「調査報告書の内容はデタラメばかり。話の根拠もさっぱり理解できません」と真っ向から反論している。

 捜査当局は王将と上杉昌也氏との取引の暗部に切り込むことになる。

(了)

【森村 和男】

(中)

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